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Protel P-CAD OrCAD PADS ...今昔物語 Archive

プロテルの始まりと市場への浸透

9月も中旬になり、ようやく暑さもややわらぎ日も短くなってきました。さわやかな秋がもうそこまでやってきています。そこで、秋の夜長の拾い読みにちょうど良さそうな記事を、過去のページから転載しました。これは現在のアルティウムの前身であるプロテルの足跡をまとめたものです。

DOS版 PCBツールで創業、Windowsで飛躍
プロテル社は1985年ニック・マーティンにより、オーストラリアのタスマニアで設立されました。ニック・マーティンはタスマニア大学の依頼を受け、高価な UNIXベースの CADツールの代用品とし、安価な DOS PCBツールの開発を始めました。このツールは翌年の1986年には製品化されオーストラリア国内だけでなく、アメリカやヨーロッパにも輸出されるようになりました。当時この DOPS製品はは米アクセルテクノロジ社(後にプロテルが買収)にOEM供給され、主にTangoのブランドで販売されていました。
その後プロテルは1991年に Windows上で動作する最初の Protel Advanced PCBの出荷を開始し、DOS製品の開発を中止しました。以後プロテルは Windowsベースの EDAツールだけを開発するようになり、1992年末には Protel Advanced Schematicの出荷が始まりました。そしてその後プロテルは Windows CADツールのラインナップの充実と統合化を実現し、短期間にWindows 統合 CAD ールの業界標準の地位を獲得するに至ります。
さらにその後プロテルは本社をタスマニアから(米国を経て)シドニーに移し上場を果たした後、アルティウムに名社名変更しています。そして、引き続きハイエンドツールをしのぐ能力を備えた統合 EDA ツールを安価に供給することを目標にして開発が続けられ、現在その範囲は FPGA開発や組み込ソフトウェアの分野にまで広がっています。 * アルティウムはその後,上海に本社が移転されています。

成功を決定付けたキーコンセプトと製品
いち早くWindowsにフォーカスすることにより「高性能を、安く、使いやすく提供する」という、あたり前の目標に取り組んだ先見性がプロテルの成功を決定つけたといえます。1991年のプロテル最初の Windows製品のリリース当時、MS-Windowsはバージョン3.0 と 2.1のランタイムバージョンが混在して使われていた時代で、ハードウェアも i386ベースの非力なものでした。普通の人ならとてもこれを CADのプラットホーム使おうとは考えなかったと思います。実際のところプロテル初期の Windows-PCBは当時主流の DOS製品と比べると、動作が遅く使いづらいものであったのも事実です。それでも Windowsへのフォーカスを決めたという決断からは、創業者ニック・マーティン氏の非凡さがうかがえます。
このようにプロテル Windows第一世代の、Advanced Schematic / PCB のバージョン1.x は時代を先取りしすぎた面もありました。このためマーケットに対しては挨拶代わりになりこそすれ収益には結びつかず、プロテルの経営を圧迫しました。
1993年のプロテル Windows版のバージョン2.xのリリース後、この状況は一変します。Windows は 3.0 が定着し CPUも i486が普通に使われるようになります。そしてこのプロテルのバージョン 2.xでは機能の改良に加え、ハードウェアプロテクトが取り払われました、そしてその結果プロテル Windowsツールは極めて魅力的な製品に様変わりし、飛躍的に売り上げを伸ばします。そしてその後の 1995年に発売され、プロテルの統合化のさきがけとなった Advanced Schematic / PCBのバージョン3 は全世界で爆発的に売れはじめます。尤もこの頃は、DOS版のトップブランドである OrCADに Windows製品が無く、唯一の Windowsツールとしてプロテルが売れて当たり前というのが当時の状況だったと思います。

バージョン3 とEDA/Client、そしてProtel 98
バージョン3 により現在の、プロテル統合ツールの基盤が確立されたように思います。プロテルのこのバージョンは製品自体も良く売れましたがそれ以上に、EDA/Clientという統合プラットホームの開発と、Schemtic、Simulator、PLD、PCB、Route という一連のラインナップが出揃った事による、技術および営業面での意義は多大なものがあります。しかし製品の実用面から見るとまだ相対的にハードウェアが非力であり、機能よりもレスポンスを求めて、プロテルの古いバージョンを使い続けるユーザも多数存在しました。
そしてその後の1998 年には、プロテルのバージョン4 の製品として、Protel 98 がリリースされました。これは、 バージョン3 のプログラムを 16 ビットから 32 ビットに拡張しただけもので、機能の追加はほとんど行われませんでした。しかしこの結果、動作は安定かつ高速になり、実用性を重視するユーザの大きな支持を得ることができました。またこのバージョンからプロテルの統合化への志向が強まり、回路図エディターなどの単体ツールの積極的な宣伝が控えられはじめました。
実用性が向上したこのProtel 98 は、EDA/Client環境の完成版としての評価が高く、今でも現場で使われているのを見かけます。そしてその後 Protel 99、Protel 99 SE、Protel DXP、Protel 2004 がリリースされ、さらにその後はブランドが Altiumに変わり現在も進化し続けています。

日本国内での販売
現在アルティウムのーケティングは、日本国内の常駐スタッフと株式会社エー・ディ・ティによって行われています。そしてそれ以前はプロテルジャパン、さらにその前はテクスパートがプロテルの国内の販売元でした。このあたりまでの経緯をご存知の方は多いと思いまが、それ以前にもプロテルは国内販売されておいました。最初のプロテルの販売元は、イー・ティ・シーを中心とした3社連合、次に日商岩井システック、そしてO.I.M、アルマティックと続き、その後テクスパートにたどり着きます。しかしこの間のプロテルの露出度は多くなく、プロテルがエンジニアの目にとまる機会は少なかったように思います。
プロテルがテクスパートへにたどり着いたのは1992年。Wesconでの Advanced Schematic 1.0のプロテルブースでの展示がきっかけでした。実質的には、プロテルの日本への上陸はこの時だったといえます。当時、時代はすでにWindowsへの流れを明確にしつつありました。プロテルの方向性はこの流れに沿うものであり、ゆるぎのないものに見えました。
このときからテクスパートはプロテルの将来性に期待し、持てる限りの体力を振り絞ってプロテルの宣伝を行います。その結果、1年あまり後に販売が開始された Advanced Schematic / PCB 2.0からは、順調に売り上げが伸び始め、バージョン3 の末期には新規販売だけで毎月 100-150本出荷されていました。外部の CAD関係者には、プロテルが飛ぶように売れていると映ったことでしょう。しかしもう二度と、こんなにたくさんに売れる時代はやってこないように思います。
その後の 1998年 4月、Protel 98のリリース直後に、テクスパートからプロテルジャパンにプロテルの販売業務が移管されます。テクスパートはプロテルをベストのポジションで新会社に引継ぐ事に成功し、無事その役目を終えます。この約 3年後プロテルはアルティウムに社名を変更し現在に至ります。

このように振り返ってみると、プロテル社の創業以来すでに四半世紀を超えており、その間大きな変遷がありました。そして今では初期に活躍した会社もスタッフもほとんどが姿を消しまっています。しかし創業者ニック・マーチンの全てのエンジニアに「ハイエンドの機能をローエンドの価格で提供する」という意思は変わることなく引き継がれており、極めてコスト・パフォーマンスの高い CADツールが提供され続けられています。  Altium Designer 進化の記録 もあわせてご覧ください。

Altium Designer 進化の記録

Altium Designer 2013 がリリースされてから 2週間が経過しました。

この新バージョンは、Altium Designer 10/12 の Update 25 に相当するものです。そしてしてこれは Protel の発売以来の続けられてきた Altium の CAD 開発の集大成でもあります。

そしてこの間 Altium は Windows CAD 先駆者として業界をリードし続けてきており、この Altium の CAD ツールの進化の過程は Windowa CAD ツールの進化の歴史そのものであるといっても過言ではありません。

そこで今回はこの Altium CAD ツールの進化の経緯をご紹介することにしました。 

販売j時期 製品・バージョン名 備考
1991 - 1993 Advanced Schematic/PCB 1.x Protel 最初のWindows 版製品
1993 - 1995 Advanced Schematic/PCB 2.x Schematic/PCB 1.x の改良版
1995 - 1998 Advanced Schematic/PCB 3.x EDA/Client 統合環境の導入
1998 - 1999 Protel 98 Schematic/PCB 3 の32ビット化
1999 Protel 99 DsignExplorer 統合環境の導入
2000 - 2005 Protel 99 SE Protel 99 の改良版
2003 - 2004 Protel DXP DXP 統合環境の導入
2004 - 2005 Protel 2004 Protel DXP の改良版
2006 - 2008 Altium Designer 6 Protel 2004の改良とブランド変更
2008 Altium Designer Summer 08 新戦略 -半年毎のアップグレード
2009 Altium Designer Winter 09 大華な値下げを実施
2009 - 2011 Altium Designer Summer 09 オンデマンドライセンスの登場
2011 - 2012 Altium Designer 10 AltiumLive ライセンス管理の導入
2012 - 2013 Altium Designer 12 Altium Designer 10 の名称変更
2013 - Altium Designer 2013 Altium Designer 12 の名称変更

  •  Windows 前夜 - Autotrax と Easytrax
    Protel DOS 版 PCB-CAD ツール

アルティウム/プロテルでは 1991年に最初の Windows 製品である Advanced PCB 1.0 .をリリースするまでは、DOS 製品を販売していました。

1986年に最初の DOS 製品がリリースされた後 1989 年に DOS 世代最後の製品である Autotrax に至るまでにいくつかのバージョンが存在しますが、Autotrax がリリースされるまでは日本に代理店はありませんでした。Autotrax のリリースに合わせて日本に代理店が設定されました。そして日本市場への参入に際して、IBM-PC 版だけでななく PC-98 版も用意されました。EMS がサポートされていたので大きな規模の基板の設計が可能でしたが、データ幅が 16 ビットでしたので、ピン間 3 本に基板の設計はできませんでした。

Windows 版の Advanced PCB がリリースされた後も、Autotrax は DOS Pack の名称で販売が継続されました。DOS Pack は、Autotrax と DOS Schenatc がセットにされたもので、価格は 98,000 円と大変安価に設定されていました。また、リリース直後の Autotrax にはドングルと呼ばれるセキュリティデバイスによるコピープロテクトがおこなわれていました。しかし1993 年に販売が開始された DOS Pack では このドングルが取り払われました。

また、Autotrax の前に PCB 3 という PCB ツールがあり、これが ACCEL 社に OEM 供給され Tango Series I として販売されていました。現在、このAutotrax と その直前のバージョンである Easytrax (おそらく PCB 3 と同じもの)がフリーソフトとしてアルティウム社から無償で提供されており、Altium wiki からダウンロード できます。

Autotrax はその後、当時の Microcode 社にライセンスされます。
そしてMicrocode 社によって Windows に移植され、TraxMaker という商品名で販売されます。このTraxMaker と Autotrax の PCB ファイルは互換性がありました。

アルティウム/プロテルでは DOS 版の開発を打ち切り、これ以後 Windows にフォーカスされることになり、1991年に世界で最初の Windows PCB ツールである Advanced PCB 1.0 をリリースします。

  • Protel Advanced Schematic/PCB 1.x
    世界初の Windows PCB ツール、初代 Protel for Windows

DOS 版 PCB-CAD の開発を打ち切った後の1991年に世界初の Windows PCB ツールとして Advanced PCB 1.0 がリリースされました。

この Advanced PCB 1.0 のリリース直後、国内では積極的には販売されず、その 翌年の Advenced Schematic 1.0 のリリースと同時に、国内での本格的な販売が始まりました。

Advenced Schematic 1.0 では、 OrCAD SDT のWindows 版というコンセプトが明確に打ち出され OrCAD ファイルを双方向に読み書きすることができました。また画面デザインも非常にセンスよくまとまっていました。しかし残念なことに、OrCAD SDT と同様、回路図上に日本語を書き込むことができませんでした。一方、これと対を成す Advanced PCB はこの頃すでに Ver. 1.5 にアップデートされていました。

Advanced PCB 1.5 では、32 ビットのデータベースによる 0.001 mil の分解能の実現と、無制限のデータベースサイズのサポートにより、極めて精細度の高い基板や大規模な基板の設計が可能になりました。しかし、パッドスタックがサポートされていないことや、Polygon Pourを同一ネットのパターン上に重ねて配置できない点など、プロフェッショナルな用途には不十分な部分も残っていました。また当時のひ弱な PC プラットフォームでは描画速度が遅く、充分なパフォーマンスを得ることはできませんでした。

また、Advanced Schmatic および PCB の双方ともドングルによりプロテクトが行なわれていましたので、IBM PC 用ドングルにアクセスできない PC98 環境では使用することができませんでした。

当時この Advanced Schmatic 1.0 および PCB 1.5 には Protel for Windows というファミリー名が与えられ、ここから 「Windows のプロテル」がスタートしました。 
プロテルの始まり

  • Protel Advanced Schematic/PCB 2.x
    実用性が向上した、2代目 Protel for Windows

Protel Advanced Schematic/PCB 2.x は、以前の1.x の改良版として 1994 年の 2 月から 3 月にかけてリリースされました。

新しい回路図エディタ Advanced Schematic 2.0 では、TrueType による日本語、タイトルブロックのカスタマイズ、他の Windows アプリケーションとのクリップボード経由でのコピーアンドペーストが可能になりました。また Advanced PCB 2.0 では、Porigon Pour の改良、パッドスタックのサポート、画面上でのオンライン編集機能、PADS 2000 の読み込みなどが実現しました。またリリース後まもなく、Schematic と PCB の両方ともドングルによるコピープロテクトが廃止され、なんら手を加えること無しに PC 98 環境で使用することが可能になりました。さらに、Professional PCB という Advanced PCB から自動機能を省いた、大変お買得な製品もラインナップされていました。

当時の PC プラットフォームはまだまだひ弱でしたので、安定性や処理速度に不満が残りました。しかし上記のような基本機能の改良により、実用性は大幅に向上しました。

Protel for Windows 2.x は 次の Ver.3 がリリースされるまでの間、0.1 刻みの小刻みなリビジョンアップが繰り返されました。特に PCB では頻繁にアップデートが行なわれ、その結果バージョン番号は 2.8 まで達しました。またこのPCB 2.8フォーマットは、現在の Altium Designer 6でも読み書きがサポートされていますので、両者の PCB データを双方向でやり取りするこができます。

プロテル製品の販売はこの Protel Advanced Schematic/PCB 2.x のリリースによって急速に伸びました。そして、Protel Advanced Schematic/PCB 2.x は 「Windows CAD ツールのリーディングプロダクト」として、 Schematic 3 (1995 年 9 月) とPCB.3 (1997年 2 月)がリリースされるまでの間、大量に出荷されました。

  • Protel Advanced Schematic/PCB 3.x
    EDA/Client 統合環境を導入した、3 代目 Protel for Windows

Advanced Schematic 3 と Advanced PCB 3 は、従来の Ver.2 の延長線上で改良されたものではなく、 EDA/Client という斬新なシステムをベースにして作り変えられた革新的な製品としてリリースされました。

EDA/Client はそれまでバラバラに提供されていた複数のEDAツールを一体化するための統合環境であり、これにより異なる種類の EDA ツールを共通のユーザインタフェイスで使用することが可能になります。

従来のプロテル製品では、回路図入力と PCB レイアウトでは、別々のプログラムを起動することが必要でしたが、この新しい EDA/Client が導入されたことのより、一つのプログラムを起動するだけで、回路図入力と PCB レイアウトの両方の作業ができるようになりました。

実際に製品がリリースされたのは、Advanced Schematic 3 が 1995 年 9 月で、OrCAD Capture の最初のバージョンのリリースとほぼ同時期でした。また Advanced PCB 3 のリリースは 1997 年 2 月で、当初の予定より 1 年以上も遅れました。 

EDA/Client はツールを統合するだけでなく、カスタマイズ機能も提供しています。このカスタマイズ機能によりメニューの日本語化が可能になったほか、マクロ言語がサポートされ、オルグシステムズからはこのマクロ言語を使ったライブラリプレーサが提供されました。

エディタの編集機能の改良については、Schematic と PCB ではアプローチが異なりました。Schematic 3 では編集機能の改良を最小限にとどめ EDA/Client の新機能によって新規性を創出していたのに対して、PCB 3 ではPCB 編集機能そのものに大幅な改良が加えられていました。

PCB 3 はルールドリブンのシステムに変更され配線機能もインテリジェントに改良されました。しかしその反面非常に動作が遅くなりました。当時、ハードウェアは急速に進化ていましたが、PCB 3 の重量化を補うことはできませんでした。このため描画レスポンスや安定性においては以前の Ver.2.x に一歩譲る面はありましたが、新しい統合環境が受け入れられユーザの数は右肩上がりに増えてゆきました。

なおこの PCB 3 フォーマットは、現在の Altium Designer 6でも読み書きがサポートされていますので、両者の間で PCB データを双方向でやり取りするこができます。また Protel V3 についてはまだ WEB 上にコンテンツが残っていますので興味のある方はご覧下さい。
Windoes PCB-CAD 導入ガイド  Protel V3 サポートドキュメント

  • Protel 98 と Advanced Schematic/PCB 98
    統合化への方向性を明確にした EDA/Client の完成形

Protel 98 と Advanced Schematic/PCB 98 は 1998 年 2月にリリースされた、Protel Ver.3 の改良版です。このバージョンでは、今まで独立していた Advanced Route 3 が EDA/Client のサーバとして組み込まれた事以外には新たな機能の追加は行なわれず、プログラムの 32 ビット化とバグの修正にに焦点が絞られました。

その結果、Protel V3 よりも安定かつ高速に動作するようになりました。表面的には極めて地味な新バージョンでしたがその堅牢さが受け入れられ、10 年たった今でもまだ多く使われています。

一方、マーケティング面においてはこのリリースを機に個別ツールから統合ツールへの転換が開始されました。商品名にもこの方針が反映され、統合版にProtel 98 という社名を冠した商品名が与えられました。そしてこれを主力商品とし、個別ツールは Protel 98 のサブセットという位置づけになりました。

なお Portel 98 のファイルフォマットは Protel Ver.3 から変更されていません。この Portel 98 で使用されている PCB 3 フォーマットは、現在の Altium Designer 6 でも読み書きがサポートされていますので、両者の間で PCB データを双方向でやり取りするこができます。また Protel 98 についてはまだ WEB 上にコンテンツが残っていますので必要な場合にはご覧下さい。
Protel 98 製品仕様   Protel 98 サポートドキュメント  Protel 98 当時のカタログ 

  • Protel 99 と Protel 99 SE
    ポータビリティの良い DDB 統合データベースが導入されたロングセラー製品

Protel 99 は 1999 年 4月にリリースされ、同年の 12 月に 99 SE にアップデートされた後、2005 年の 3 月末までの 6 年間にわたり販売が続けられました。後継の Protel DXP や Protel 2004 がリリースされた後も販売が続けられた超ロングセラーモデルです。

この製品は以前の Prtoel 98 のマイナーチェンジではなく、統合プラットフォームが大きく変更されされたほか、新たに伝送線路シミュレータが追加された新製品です。

Protel 99 の統合環境は EDA/Client から Design Explorer に変更され、これに合わせて Microsoft Jet エンジン を利用した新しい統合データベースが導入されました。この新しいデザインデータベース(DDB)は全てののデザインデータを一つのデザインデータベース保存できるため、大変ポータビリティが良い反面、ファイルが壊れた場合全てのデータを失うという危険性もありました。またJet エンジンのアクセスコントロール機能を利用したプロジジェクト管理機能が備えられていました。

Protel 99 に新たに加わった伝送線路シミュレータは旧 INCASES Engineering 社の SI Workbench を組み込んだもので、現在の Altium Designer 6 と同等のものです。また、アナログ/デジタル混在シミュレータは以前用いられていた Dolphin Integration 社の SMASH から Microcode の XSpice 3f5 ベースのものに変更されました。

また回路図エディタ、PCB とも編集機能の改良は旧製品に対する上位互換が維持されており、旧製品のユーザであれば違和感無く使用できました。また部品シンボルに Unique ID 属性が追加され、デザインデータ間相互のリンクが強化されました。これにより回路図と PCB との間のデータの受け渡しがネットリストファイルではなく、Update - PCB/Schematic のコマンド操作によって行なわれるようになりました。またこの製品から、ロングファイル名と日本語ファイル名がサポートされたことも見逃せません。

そして 1999 年 12 月の Protel 99 SE へのアップデートでは、それまで要望が強かった層数の追加が行なわれ、信号層が 16 から 32、内層プレーンが 4 から 16、メカニカル層が 4 から 16 に増やされました。この 99 SE へのアップデートはマイナーチェンジとして扱われ、Protel 99 ユーザに無償提供されました。

また、この製品はライセンスがピア・トゥ・ピアでフローティングするように作られており、全てのユーザにフローティングライセンス仕様の製品が提供されました。また、統合版を購入しても Schematic/PCB 等の個別ツールのライセンスをバラバラに使用できましたので、設計者が作業を分担する場合には大変便利なものでした。

マーケティング面では、より明確に統合ツールへの方向性が打ち出されました。例えば回路図エディタの商品名は、従来の Advancrd Schematic 98 から Protel 99 Schematic に変更され、個別の回路図エディタ は Protel 99 統合ツールのサブセットとしての位置付けがさらに明確化されました。

長期間販売されたこの Protel 99 SE には極めて多くユーザが存在しますので、Altium Designer では Protel 99 SE のデザインデータベース(DDB)と個別ファイルとの互換性に対しては、磐石なサポートが提供されています。

なおアルティウムジャパンではこの製品のサポートを終了しましたが、サポートドキュメント の提供は続けられています。

  • Protel DXP と Protel 2004
    大量に投入された新技術により飛躍的な進化を遂げた革新的な製品

Protel DXP ファミリーは、FPGA ハードウェアやソフトウェア開発ツールを始めとする、有力企業の買収で取得した技術を投入して開発されました。

また Protel DXP は、洗練された統合環境である DXP プラットフォーの導入により、ただ単にツールの種類を増やしただけのものではなく、ツール間における相互の緊密な連携が可能な一体化された製品にまとめられています。しかしその一方この Protel DXP 世代では、 回路図エディタをはじめとする 個別ツールがラインナップから外されました。

この流れはその後の Protel 2004 世代にも受け継がれ、アグレッシブに開発が続けられました。そして Nexer-Protel 2004 で基板設計と FPGA ハードウェア/ソフトウェア開発ツールを一体化した統合開発環境が完成します。そしてさらに改良が続けられ、Altium Designer 6 へと進化していきまます。
Protel 進化論 - Protel 2004 と 99 SEとの違い  Protel DXP サポートドキュメント Protel 2004のサポートドキュメント

  • Altium Designer 6
    名実ともに Protel から Altium へ移行

前作の Protel DXP/2004 では、DXP プラットフォームや FPGA 開発環境の統合化などにより、プロテルツールは大きく進化しました。しかし、回路図エディタと PCB ツールの基本機能である作図や配線、そしその画面表示機能については大きくは改良されてはいませんでした。

この 作図/配線/表示機能を大きく進化させ、従来のプロテルツールとは大きく異なる製品としてブランド名が Protel から Altium に変更されたのがこの Altium Designer 6 です。

この Altium Designer 6 では、マニュアル配線に半自動モードが追加になり始点と終点だけのクリックにより、配線を完結できるようになりました。また差動ペアをサポートする配線機能が多数追加されています。さらに配線パターンにネット名が表示されるようになり、エデイターとしての基本機能が大きく進化しました。

このバージョンからは商品構成が変更され、現在の基本セットと拡張セットの形じ一歩近づきました。そしてこれにあわせて値上げが行われ、高性能をそれに見合った価格で提供するという路線にシフトしました。

この Altium Designer 6 は Summer 08 がリリースされるまでの 30ヶ月以上にわたっって販売されました。そしてその末期の Altium Designer 6.8 では新しい SD 表示機能が追懐され立体画像による PCB の断面や実装状態の表示が可能になり、メカニカル CAD と連携能力も飛躍的に向上しました。

このように、Altium Designer 6 では 大幅な改良とプランド名の変更により、名実ともに Protel から Altium はの移行が行われました。
Protel から Altium Designer へ

  • Altium Designer Summer 08
    ハイエンドを志向した、更なる多機能化と価格の上昇

このバージョンでは前作 Altium Designaer 6 以来のハイエンド志向に基づいて、さらなる多機能化が図られています。また商品構成の変更とともに値上げが行われ、拡張セットのフローティング版が、約250万円に達しました。

機能的に全く新しいものは多くありませんがそれでも Design Insight機能と呼ばれる、デザイン情報をビジュアルに取得・表示する機能や Output JOB による部品表 の PDF 出力、3D のよるオンライン DRC、Allegro の読込機能など、なかなか盛りだくさんの新機能が提供されています。またこのバージョンのリリースにあわせて Innovation Station のコンセプトのもと、 FPGA 開発環境の充実が図られました。

またこのバージョンでは、これらの新機能に加え商品構成も変更され、ラインナップは現在の、基本セットと拡張セットの 2種類に集約されました。

さらに、アップグレードのスキームにも新しくなり 1年に 2回の新バージョンの提供が約束され、これにあわせてバージョン名も"Summer 08" となり 2008年の夏のリリースであることを直接表現するという形になりました。

そして、記憶に新しのはこのリリースの直後に起こったリーマンショックと、間接販売への移行です。今まで行われていた、アルティクムジャパンからの商品の直販は取りやめられ、全て代理店による間接販売に移行しました。
Altium Designer は "6" から "Summer 08" へ

  • Altium Designer Winter 09
    Summer 08 のマイナーなアップデート

Winter 09 は年 2回のアップグレードの約束が履行され Summer 08 のリリース後、約半年でリリースされました。しかしその内容は、期間が短かったた事もあり目立った新機能はほとんど無く、Summer 08 のマイナーアップデートに近いものでした。とはいうものの、すぐに役立つ実用的な新機能もいくつか含まれており、Digi-Key などのディストリビューターも持つ部品データーベースとのリンク機能が提供され、価格などの最新を自動的に Altium Designer から出力される部品リストに反映させることも可能になりました。

この Winter 09 のリリースでは、これに前後して実施された販売体制とキャンペーンが、衝撃的ともいえる大きなインパクトを与えました。Winter 09 のリリース直後の 2月には、かねてより進められていた間接販売への移行が終わり、 五反田にあったアルティウムジャパンの事務所が突然閉鎖されました。これはまさに晴天の霹靂でした。そして、翌月の 3月にはにわかには信じがたい 180,000円という超低価格で Winter 09 にアップグレードできる、衝撃的なキャンペーンが開始されました。このキャンペーンはどのような旧バージョンからでも定価の 10分の 1以下の価格で Winter 09 拡張セットを入手できるというもので、リーマンショックの影響による売上げの落ち込みを一気にカバーできるほとの成功を収めました。

このように、Winter 09 は価格上昇により Altium から離れかけていた旧 Protel ユーザーを一気にひき戻すバージョンでもありました。

  • Altium Designer Summer 09
    新しいライセンス認証システムの導入と大幅な値下げ

この Summer 09 でもは年 2回のアップグレードの約束が履行され Winter 09 のリリース後、約半年でリリースされました。開発期間が短かいわりには新機能が多く、メカニカルレーヤが 16層追加され合計32層に増えた他、アセンブリーバリアントにより、仕向け地や製品のバリエーションによよる仕様の違いを、単一のドキュメントに反映させることができるようになりました。

また、エディタの新機能よりも利便性に影響を与えたのは、新しいライセンス管理システムとオンデマンド・ライセンスタイプの導入であるといえます。クラウドコンピューティングを大幅に取り入れ、インターネットにさえ接続で切れば、1つのライセンスを世界中のどこにいても共用することができるようになりました。

さらに、この Summer 09 では従来の約 5分の 1という大幅な値下げが行われました。このことはライセンスが 5倍売れなければ値下げ前の売上げを維持できないことを意味し、当時それはありえないことのように思われました。しかしこれはうれしい誤算であり、意外にも売上金額は増加しました。このように Summer 09 は爆発的とも言える売上げを記録し、結果的にはこの値下げは成功しました。

またこのリリースにあわせて、安価な FPGA 開発ボードとして Nanoboard 3000が用意されました。

この Summer 09 はその後 2年半以上メジャーアップグレードは行われず、2011年の 3月まで Summer 09 pまま販売は継続されました。

  • Altium Designer 10
    クラウド技術を多用した新しいプログラム管理システムの導入

Summer 09 以降、年に 2回のアップグレードスキームは消滅し、この Altium Designer 10 はSummer 09 から 1年半以上経過した 2011 年 3月にようやくリリースされました。

高速回路に対する対応や束線配線機能などの編集機能が強化されていますが、主な新機能として充実した機能を持つドキュメント管理機能が提供されました。

またこの Altium Designer 10では、Altium Designer プログラム中に、プラグインの追加と更新のための専用ページが設けられ、プラグインの追加/削除とプログラムのアップデートを全てここで行うようになりました。この機能を利用でして、毎月アップデートが提供されるようになり、Altium Designer 12 に移行しりまでの間 18回のアップデートが提供されました。

このようなシシテムの変更により従来アシュアランスと呼ばれていた保守契約の名称が、サブスリプションに変更され、契約によって生じるアップグレードの権利が精密に管理されるようになりました。また AltiumLive アカウントによりライセンスの一括管理が可能になりました。

  • Altium Designer 12
    Altium Designer 10 の名称変更

Altium Designer 10 以降は毎月小刻みなアップデートがくりかえされようになり、新バージョンにあわせて新機能が提供されるいう従来の仕組みは消滅しました。よってこの Altium Designer 12 はAltium Designer 10 以降 18回のアップデートにより、大きく進化した事を証明するための名称変更のようなものであり、Altium Designer 10 の最後のリビジョンと Altium Designer 12 の最初のリビジョンは、全く同じリビジョンです。

このAltium Designer 12 は 2012年の 5月にリリースされた後も毎月のアッデートにより進化し続けましたが、2013年 2月の Update 25 以降は Altium Designer 2013 に名称が変更されました。

リリース名 リリース日 ビルド番号 製品名
Initial Rel. 2011/02/24 10.391.22084 Altium Designer 10
Uodate 1 2011/03/24 10.467.22184 Altium Designer 10
Uodate 2 2011/04/12 10.494.22274 Altium Designer 10
Uodate 3 2011/04/29 10.516.22330 Altium Designer 10
Uodate 4 2011/05/13 10.537.22385 Altium Designer 10
Uodate 5 2011/05/19 10.545.22410 Altium Designer 10
Uodate 6 2011/05/26 10.554.22457 Altium Designer 10
Uodate 7 2011/06/01 10.564.22479 Altium Designer 10
Uodate 8 2011/06/19 10.577.22514 Altium Designer 10
Uodate 9 2011/07/12 10.589.22577 Altium Designer 10
Uodate 10 2011/07/28 10.600.22648 Altium Designer 10
Uodate 11 2011/09/15 10.651.22821 Altium Designer 10
Uodate 12 2011/10/10 10.700.22943 Altium Designer 10
Uodate 13 2011/11/10 10.747.23074 Altium Designer 10
Uodate 14 2011/11/23 10.771.23139 Altium Designer 10
Uodate 15 2011/12/19 10.818.23272 Altium Designer 10
Uodate 16 2012/02/06 10.890.23450 Altium Designer 10
Uodate 17 2012/03/27 10.972.23595 Altium Designer 10
Uodate 18 2012/04/27 10.1051.23878 Altium Designer 12
Uodate 19 2012/05/23 10.1089.24016 Altium Designer 12
Uodate 20 2012/06/21 10.1133.24352 Altium Designer 12
Uodate 21 2012/07/24 10.1181.24817 Altium Designer 12
Uodate 22 2012/10/24 10.1271.26245 Altium Designer 12
Uodate 23 2012/11/23 10.1327.26514 Altium Designer 12
Uodate 24 2012/12/18 10.1377.27009 Altium Designer 12
Uodate 25 2013/02/01 10.1531.27391 Altium Designer 2013

  • Altium Designer 2013
    Altium Designer 12 の名称変更

Update 25 のリリースにあわせて、名称が Altium Designer 12 から Altium Designer 2013に変更されました。これは Altium Designer 12 に移行後 7回目のアップデートとなり、この Update 25 での主改良点として以下の 6点がアナウンスされています。

  • PCB オブジェクトとレイヤ透過設定
  • ポリゴン用のOutline verticesエディタ
  • ポートの高さとフォントコントロール
  • Smart PDFドキュメントへのコンポーネントパラメータの追加
  • Microchipタッチコントロールのサポート
  • DXPプラットフォームの改善

また、この Altium Designer 2013 では値上げが行われ、3月18日から新価格が適応される予定です。

この Altium Designer 2013 は最初の Protel Advanced Schematic/PCB 1.x から数えて 23年目の製品ということになります。長いようで短い 23 年でしたが、この間に休むことなく続けられたアルティウム社の開発努力により、ハイエンドの CAD システムに勝るとも劣らない、非常に高性能な CAD システムに進化しました。

ドングルはありますか? Altium Designer のコピープロテクト

ソフトウェアの売り手側にとってコピープロテクトは必要不可欠なものですが、ソフトウェアの使い勝手に大きく影響し、時にはユーザの皆様にご迷惑をおかけすることもあります。

Windows 版の CAD が普及し始めたころは、このコピープロテクトの手段は、ドングルと呼ばれるハードウェアキーが主流でした。このため今でも時々、Altium Designer にはドングルがありますか?というy問合せをいただくことがあります。もちらん今の Altium Designer にはドングルはありませんのでそのようにお答えするわけですが、このあたりで一度 Protel / Altium Designer のコピープロテクトの手段の変遷を振り返ってみたいと思います。

Adovanced Schematic / PCB 1.x 以前
パラレルポートに装着するタイプのドングルによってコピープロテクトされていた。当時のPC-9801 シリーズに対してはプログラム自体の互換性はあったが、ドングルが接続できなかったのでそのままでは使えなかった。

Adovanced Schematic / PCB 2.x から Protel 98 まで
コピープロテクト自体が廃止されドングルも無くなった。 アクセスコードさえ正しく入力すれば、プログラムを使用することができ、大変使い勝手がよくなった。また今まで、ドングルによって互換性が損なわれていた PC-9801 シリーズでも使用できるようになった。そしてアルティウム(プロテル)は以下のようなシールを作って、コピープロテクトの廃止を大々的に宣伝した。このころからプロテルの快進撃が始まった。

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Protel 99、Protel 99 SE
Protel 98 と同様、アクセスコードの入力だけで使用できたが、ネットワークがサポートされ、契約数以上のライセンスが稼動していないかどうか、チェックされるようになった。Protel 99 のプログラム自体はフローティング仕様で作られていた。もちろんドングルによるコピープロテクトは行われていない。

Protel DXP から Altium Desigmer Winter 09 まで
インターネット経由でのライセンス認証システムが導入された。Altium Designer がインストールされたPC の、ハードウェアコンフィギュレーションを検出してキーファイルを発行することにより、特定のPCでしか動かないように制限がかけられた。スタンドアロンとフロ^ティングの 2種類のライセンすタイプが用意された。

Summer 09 以降
Protel DXP 以降の認証システムに改良が加えられた。ライセンスファイルの機種依存性は無くなりライセンスの可搬性が向上した。また、インターネット経由で常時ライセンスの配信を受ける、オンデマンドライセンスが新に追加された。

以上のように振り返ってみると、ライセンス管理システムがメジャーアップグレードのたびに改良され、現在では非常に使い勝手の良いものに進化しています。ただ、ライセンス認証が必要になり、インストール後にすこしややこしい手続きが必要になりました。また新しいライセンス認証システムはインターネット環境に依存した作りになっていますので、インターネットに接続されていない環境では、裏技的な手続きが要求されます。 

Protel DXP と Protel 2004

013/09/16: 旧サイトから転載。Altium 以前の Protel製品に関する備忘録。

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大量に投入された新技術により飛躍的な進化を遂げた革新的な製品

Protel 99のリリースが 1999年 3月で、Protel DXP のリリースが 2002年の年末ですので、その間は 4年近くあいています。アルティウムではその間いろいろな事がありました。

この間に起こった主な出来事として、ACCEL Technologies, Inc(P-CAD)の買収 、Metamor Inc(FPGA論理合成技術)の買収 、TASKING グループの買収(エンベッデッドソフトウェア開発環境)、プロテル(Protel International Limited)からアルティウム(Altium Limited )への社名変更 などがあげられます。このようにこの間には、有力企業の買収がアグレッシブに行なわれています。そしてこれらは「次世代の Protelファミリーの開発のために行なわれた」と言えます。またこの企業買収よる最も大きな成果は、FPGA ハードウェアとソフトウェアの開発ツールの技術を手に入れたいれたことでした。

そして Protel DXPファミリーはこれらの企業買収で取得した技術の投入に加え、より洗練された統合環境であるDXP プラットフォームを導入することによって開発されました。その結果この新しい Protel DXPはただ単にツールの種類を増やしただけのものではなく、ツール間における相互の緊密な連携が可能な一体化された製品になりました。しかしその一方で、従来の回路図エディタや PCBエディタなどの、個別ツールの販売が取り止められました。この流れはその後の Protel 2004世代にも受け継がれ、アグレッシブに開発が続けられました。そして Nexer-Protel 2004 で基板設計とFPGA ハードウェア/ソフトウェアを一体化した統合開発環境が完成します。そしてさらに改良が続けられ、Altium Designer 6へと進化していきまます。

このように、大きく進化した Protel DXPなのですが、市場への浸透は意外に緩やかなものでした。良くも悪くも根を張るほどに定着した Protel 99 SEとの違いがあまりにも大きすぎたというのがその原因なのではないかと思います。これを補うためか、Protel 99 SE は Protel DXPはおろか Protel 2004がリリースされた後もしばらく販売が継続されました。

プロテルは 1995 年のEDA/Clientの導入をかわきりに統合一直線に進んできましたが、それもついにここまで来たか...というのが正直な感想です。 技術を持った企業を買収すれば機能を増やすのは簡単なことかも知れませんが、それを統合し魅力的な商品にまとめ上げる事は至難の業です。それを可能にしたのが新しく導入された DXP プラットフォームです。そしてそのコンセプトと基本技術がすでに 1995 年のEDA/Clientで確立されていたという事実を思い起こし、その先見性と開発力に今まさらながら驚いています。

Protel DXP およびそれ以降の製品については今でも WEBサイトから、多くの情報が入手できますので興味のある方はご覧下さい。

Protel 99 と Protel 99 SE

013/09/16: 旧サイトから転載。Altium 以前の Protel製品に関する備忘録。

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ポータビリティの良い DDB 統合データベースが導入されたロングセラー製品

1999年 4月に無印の Protel 99がリリースされ、同年の12月に99 SEにアップデートされた後、2005年の3月末までの6年間にわたり販売が続けられました。後継の Protel DXPや Protel 2004がリリースされた後も販売が続けられた超ロングセラーモデルです。この製品は以前の Prtoel 98のマイナーチェンジではなく、統合プラットフォームが大きく変更されされたほか、新たに伝送線路シミュレータが追加された全くの新製品です。

Proel 99の統合環境は EDA/Clientから Design Explorerに変更され、これに合わせて Microsoft Jet エンジンを利用した新しい統合データベースが導入されました。この新しいデザインデータベース(DDB)は全てののデザインデータを一つのデザインデータベース保存できるため、大変ポータビリティが良い反面、ファイルが壊れた場合全てのデータを失うという危険性もありました。またJet エンジンのアクセスコントロール機能を利用したプロジジェクト管理機能が備えられていました。

この新しい統合環境には短所もありました。ことに手軽に使える回路図エディタを求めている人にとって Design Explorerと DDBファイルはいかにも大げさすぎるように思われました。この DDBデザインデータベースについては社内でも賛否両論があり、いくどもその有効性についての議論がかわされました。しかし製品の信頼性が向上するにつれ急速にその評価は高まり、その有効性を疑問視する声はしだいに聞かれなくなりました。

Protel 99に新たに加わった伝送線路シミュレータは旧 INCASES Engineering社の SI Workbenchを組み込んだもので、現在のAltium Designern と同等のものです。また、アナログ/デジタル混在シミュレータは以前用いられていた Dolphin Integration社の SMASH から Microcode の XSpice 3f5ベースのものに変更されました。また回路図エディタ、PCBとも編集機能の改良は旧製品に対する上位互換が維持されており、旧製品のユーザーであれば違和感無く使用できました。そして部品シンボルに Unique ID属性が追加され、デザインデータ間相互のリンクが強化されました。これにより回路図とPCBとの間のデータの受け渡しがネットリストファイルではなく、Update-PCB/Schematicのコマンド操作によって行なわれるようになりました。されにこの製品から、ロングファイル名と日本語ファイル名がサポートされました。

また、このProtel 99 SEではライセンスがピア・トゥ・ピアでフローティングするように作られており、全てのユーザにフローティングライセンス仕様の製品が提供されました。また、統合版を購入しても Schematic/PCB等の個別ツールのライセンスをバラバラに使用できましたので、設計者が作業を分担する場合には大変便利なものでした。

そして1999年12月の Protel 99 SEへのアップデートでは、それまで要望が強かった層数の追加が行なわれ、信号層が 16 から 32、内層プレーンが 4 から 16、メカニカル層が 4層から 16層に増やされました。この SE へのアップデートはマイナーチェンジとして扱われ、Protel 99ユーザに無償提供されました。

マーケティング面では、より明確に統合ツールへの方向性が打ち出されました。例えば回路図エディタの商品名は、従来の Advancrd Schematic 98から Protel 99 Schematicに変更され、個別の回路図エディタ は Protel 99 統合ツールのサブセットとして位置付けがさらに明確にされました。長期間販売されたこの Protel 99 SEには極めて多くユーザーとデザインデータが存在しますので、現在の Altium DesignerではProtel 99 SEのデザインデータベース(DDB)と個別ファイルとの互換性に対しては、磐石なサポートが提供されています。

なおアルティウムではこの製品のサポートを終了しましたが、サポートドキュメント の提供は続けられています。http://wiki.altium.com/pages/viewpage.action?pageId=11241233

Protel 98

013/09/16: 旧サイトから転載。Altium 以前の Protel製品に関する備忘録。

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統合化への方向性を明確にした EDA/Client の完成形

この製は  1998年 2月にリリースされた、Protel V3の改良版といえます。この製品では、今まで独立していた Advanced Route3 が EDA/Client のサーバとして組み込まれた事以外には、目立った機能の変更は行なわれず、プログラムの32ビット化とバグの修正にに焦点が絞られました。その結果、Protel V3よりも安定かつ高速に動作するようになりました。表面的には極めて地味な新バージョンであるにもかかわらずその堅牢とレスポンスの良さが多くのユーザーに受け入れられました。。

一方、マーケティング面においてはこのリリースを機に個別ツールから統合ツールへの転換が開始されました。商品名にもこの方針が反映され、統合版にProtel 98 という社名を冠した商品名が与えられました。そしてこれを主力商品とし、個別ツールはProtel 98 のサブセットに位置づけれれました。そして、個別ツールから統合版 Portel 98 へのアップグレードを安価に設定することにより、統合版 Portel 98への誘導が図られました。その結果 Portel 98 へのアップグレードの注文が殺到し、リリース後2ヶ月間の日本での Portel 98の売上げは、それまでの半年分に相当する金額に達するほどでした。

このように Protel 98 のりリースでは統合ツールへの転換のために、マーケティング面での施策が施され成功しましたが、個別商品に目を向けて見ると、競合商品である OrCAD Capture の改良が進んだことで、回路図エディタの選択枝が広がってきているという状況でした。Windows版回路図エディタはプロテルしかないという時代はすでに過ぎ去っており、回路図エディタの売上げを維持するためには何らかの施策が必要な状況でした。

なお Portel 98 のファイルフォマットは Protel V3 から変更されていません。この Portel 98 で使用されているPCB 3 フォーマットは、現在のAltium Designerでもサポートされていますので、データの再利用が可能です。また Protel 98 についてはまだ WEB 上にコンテンツが残っていますので興味のある方はご覧下さい。

3代目 Windows 版プロテル

013/09/16: 旧サイトから転載。Altium 以前の Protel製品に関する備忘録。

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EDA/Client 統合環境を導入した第3世代の Protel for Windows

3代目 Windows 版の Advanced Schematic 3と A dvanced PCB 3は、従来の Ver.2の延長線上で改良が加えられたものではなく、 EDA/Client という斬新なシステムをベースにして作り変えられた新製品です。このEDA/Client はそれまでバラバラに提供されていた複数のEDAツールを一体化するための統合環境であり、これにより異なる種類の EDA ツールを共通のユーザインタフェイスで使用することを可能にするものです。

たとえば従来のプロテル製品では、回路図入力とPCBレイアウトでは、別々のプログラムを起動することが必要でしたが、この新しいシステムでは EDA/Client を起動するだけで回路図入力とPCBの両方の作業が可能になります。このことは複数の種類の仕事をする場合にもツールの使い分けが不要になることを意味します。このシステムはその後も改良が続けられ(EDA/Client → Design Explorer → DXP プラットフォーム) Altium Designerでも使用されています。

このシステムの導入に際しては、開発初期の段階から関係者に対してコンセプトの説明やプロトタイプによるデモが行なわれました。初期の段階では EDA/OSという仮称が与えられており、まさにベンダーの垣根を越えた共通のプウラットフォームを目指していました。私どもはこのコンセプトの先見性に感銘を受け、あらためてプロテルの将来性を確信しました。そして日本のユーザに対して製品リリースの 1 年近く前から EDA/Client のコンセプトの宣伝を始めました。そしてこの出荷が始まったのは、Advanced Schematic 3 が1995年 9月で、OrCAD Capture の最初のバージョンのリリースとほぼ同時期でした。 また Advanced PCB 3 は1997年 2月であり、当初の予定より 1年以上も遅れユーザの皆様には多大のご迷惑をおかけしました。

EDA/Client はツールを統合するだけでなく、カスタマイズ機能も提供しています。このカスタマイズ機能により、メニューの日本語化が可能になったほか、オルグシステムズからはマクロ言語を使ったライブラリプレーサが提供されました。またエディタの編集機能の改良については、Schematic と PCB ではアプローチが異なりました。Schematic 3では編集機能の改良を最小限にとどめ EDA/Client によって提供される機能によって新規性を創出していたのに対して、PCB 3では編集機能そのものに大幅な改良が加えられていました。例えば PCB 3 はルールドリブンのシステムに変更され配線機能もインテリジェントに改良されました。

しかしその反面非常に動作が遅くなりました。当時はハードウェアの進化とソフトウェアの重量化がいたちごっこをしているような状況でしたが、PCB 3 の重量化はハードウェアの進化で補うことはできませんでした。
やはり当時のWindows プラットフォームには、このシステムは少々重すぎたようです。このため描画レスポンスや安定性においては以前の Ver.2.xに一歩譲る面はありましたが、新しい統合環境が受け入れられユーザの数は右肩上がりに増えてゆきました。

このAdvanced Schematic 3と A dvanced PCB 3の投入は営業的にも満足すべきものでしたがそれ以上に、現在でも使い続けれれている先進的な統合環境と、ルールドリブンシステムの導入に成功したことの意味は大きいのではないかと思います。なおこのPCB 3 フォーマットは、現在のAltium Designer でもサポートされていますので、両者の間で PCB データを双方向でやり取りするこができます。

また Protel V3 についてはまだ WEB 上にコンテンツが残っていますので興味のある方はご覧下さい。

2代目 Windows 版プロテル

013/09/16: 旧サイトから転載。Altium 以前の Protel製品に関する備忘録。

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実用性が大きく向上した 2 代目 Protel for Windows

1994年の2月から3月にかけてリリースされたWindows for Windows 2.0は、以前の1.x の改良版と位置づけられる製品であり、この製品の出現によりそれまでの努力が実を結び始めました。

この新しい回路図エディタ Advanced Schematic 2.0では、TrueTypeによる日本語、タイトルブロックのカスタマイズ、他のWindows アプリケーションとのクリップボード経由でのコピーアンドペーストが可能になりまそた。また Advanced PCB 2.0 では、Porigon Pour の改良、パッドスタックのサポート、画面上でのオンライン編集機能、PADS 2000 の読み込みなどが実現しました。またリリース後まもなく、Schematic と PCBの両方ともドングルによるコピープロテクトが廃止され、なんら手を加えること無しに NEC PC 98環境で使用することが可能になりました。当時の PC プラットフォームはまだまだひ弱でしたので、安定性や処理速度に不満が残りました。しかしこのような基本機能の改良により、実用性は大幅に向上しました。
  • 時のラインナップはつぎのとおり。
  • Advanced Schematic 2.x 120,000円/148000円
  • Advanced PCB 2.x   398,000円
  • Professional PCB 2.x   198,000円
Advanced Schematic は価格改定とキャンペーンによる価格変動がありましたが、120,000 円で販売されていた時期が最も長かったように記憶しています。またProfessional PCB は Advanced PCBからいくつかの自動機能を省かれただけの製品であり、その価格差を考えると大変お買得な製品でした。

競争相手は、Schematic がOrCAD 、PCB がTango という構図でした。しかし OrCAD には Windoiws 版はなく、Tango は Protelより出遅れていたにもかかわらず大変高価でした。このため、プロテルはシリアスな競争にさらされることはなく、Windows CADのリーディングブランドとしての地位を得ることができました。

このポジションをより確固たる物にするため、広告宣伝の強化のサポート製品の整備を進めました。トランジスタ技術誌への広告は、従来の1ページから2ページ見開きに増やしました。広告やカタログのレイアウトにおいても、当時のプロテルのカンパニーカラーである黄色を多用し極めて目立つような配色にこころがけました。またサードパーティからもプロテルをサポート商品が次々と現れ、最終的には次のようなものが出揃いProtel for Windows 2.xの販売を後押ししました。
  • PCB への日本語入力ツール FontMan
  • オルグシステムズの TechLib-SCH 回路図シンボルライブラリ
  • CAD サービス社の回路図シンボルライブラリ
  • 明光電子の PCB フットプリントライブラリ
  • 部品表太
  • RSIトランスレータ
  • MaxRoute
  • CCT SPECCTRA
  • HyperLynx BoardSim
  • ECAM /CAM350
Protel for Windows 2.xは 次の Ver.3がリリースされるまでの間、0.1刻みの小刻みなリビジョンアップが繰り返されました。特に PCB では頻繁にアップデートが行なわれ、その結果バージョン番号は 2.8 まで達しました。またこのPCB 2.8フォーマットは、後のAltium Designerでも読み書きがサポートされていますので、PCB データの再利用が可能です。

プロテル製品の販売はこの Protel for Windows 2.x のリリースによって急速に伸び、浜松の大手電子楽器メーカに大量にも採用されるなど、旧テクスパート地元のお客さまにもご愛顧いただきました。またこの Protel for Windows 2.x は名実ともに「Windows のプロテル」の地位を得、 Schematic 3(1995年 9月)とPCB.3 ( 1997年 2月)がリリースされるまでの間大量に出荷されました。

初代 Windows 版プロテル

013/09/16: 旧サイトから転載。Altium 以前の Protel製品に関する備忘録。

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世界初の Windows PCBツール

プロテルはDOS 版 PCB-CADの開発を打ち切った後、1991年に世界初の Windows PCB ツールとして Advanced PCB 1.0をリリースしました。

当時の私たちのビジネスはPADS-PCB ツールの販売が主力であり、まだプロテルの輸入販売元としての業務を行なっていませんでした。私たちが輸入販売元としてプロテルの Windowsツールの販売を開始したのは、1994年1月の EDA TechnoFair からです。しかしこの時、主力においたのはは PCBツールではなく回路図エディタの Advanced Schematic でした。そしてプロテルの代理店になることを決めたのはこの前年の1993年の末です。Wescon で展示されていたAdvenced Schematicに感銘を受け即座に代理店になることを決めました。当時の私どもは Advenced Schematic が業界標準になることを確信しており、プロテルビジネスに投資する事に対して何の懸念もありませんでした。

この Advenced Schematicでは、 OrCAD SDT(DOS)のWindows版というコンセプトが明確に打ち出され、そのコンセプトが適確に実現されていました。また何よりも端正な面構えとWindoes準拠のセンスの良いユーザインタフェイスに、もうこれ以外には何も目に入らないというほどに惚れ込みました。その一方で PCBエディタの Advanced PCB はこの頃すでに Ver. 1.5 にバージョンが上がっていましたが、Schematicほどの魅力は感じられませんでした。

とにもかくにも私たちは、このプロテルの投入を機に一気に PCB設計業者から CAD 販売業者への転換を始めました。いま当時の状況を振り返ると、その後のプロテル国内販売のビジネスモデルががこのころ確立されたことがわかります。

VAR 販売チャンネルの設定
流通販売チャンネルの設定
雑誌広告を毎月掲載
年 4回のニュースレター(Tech Express)の定期送付
年2回のトレードショーへの出展
回路図とPCBの国産部品ライブラリの提供
カタログの大量配布

とにかく OrCADという巨人が前に立ちはだかっていたわけですから、OrCAD のWindows 版が出る前にいかに知名度を上げ、販売実績を残すかということが最重要課題でした。当時の私どもには「何が何でもプロテルを公衆の面前に露出させる」という、執念めいた想いがあったように思います。

これらの戦略の実行にあたっては、資金不足以外に大きな障害はありませんでしたが、いくつか想定外のこともありました。特に流通チャンネルを通じて全国にカタログを配布する場合、最低でも 10,000枚くらい用意しないといけないことがわかり、流通販売チャンネルの設定後にはそれまでの 10倍くらいの量のカタログが必要になりました。

当時はまだ誰もプロテルの名前を知らないわけですから、微々たる売上げに期待するよりもまず、メディアへの物量の投入によりブランドを露出させ知名度を上げることが先決でした。雑誌広告やカタログには Protelのロゴを目立たせると共に Advenced Schematic が OrCAD互換であることを明示し、OrCAD のWindows版というコンセプトを強く訴求しました。そしてこのような営業努力の結果半年後くらいには、いくらかプロテルの存在が認知され始めました。また製品の能力に対してもおおむね良好な評価を得ることができ、少量ながらも着実に売れ始めました。

余談になりますが、このころ国内最大手の PCB-CADベンダー様から Advanced Schematicの引き合いがあり、研究用見本として 1本お買い上げいただきました。 開発/設計現場だけでなくCAD業界にもプロテルの存在が認知され始めたことを実感させる出来事でした。

機能面においては Advanced Schmatic 1.0の特徴である OrCAD回路図とライブラリの読み込みと書き出し機能、およびWinmdows に準拠した洗練されたユーザインタフェイスは大変好評でした。しかし残念なことに、回路図上に日本語を書き込むことができませんでした。一方 Advanced PCB 1.5では、32ビットのデータベースによる 0.001 mil の分解能の実現と、無制限のデータベースサイズのサポートにより、極めて精細度の高い基板や大規模な基板の設計が可能になりました。しかし、パッドスタックがサポートされていないことや、Polygon Pourを同一ネットのパターン上に重ねて配置できない点など、プロフェッショナルな用途には不十分な部分も残っていました。

また、Advanced Schmatic および PCB の双方ともドングルによりプロテクトが行なわれていましたので、IBM PC 用ドングルにアクセスできない NEC PC98環境では使用することができませんでした。このためサードパーティから PC98用プロテクトキーインターフェイスボードを調達することにより、NEC PC98環境での動作を実現しました。

当時この Advanced Schmatic および PCB には Protel for Windowsというファミリー名が与えられました。この初代 Protel for Windows は当時のひ弱なプラットフォームでは充分な能力を発揮することはできませんでしたが、Windows のトレンドに対する整合は完璧でした。このため、「Windows のプロテル」というブランディングには最適な商品であり、Windows CAD市場に絶好のコンデションで船出することができました。

プロテル DOS製品の記憶

これは Windows 前夜の製品である、プロテルのDOS版PCB ソフトウェアに関わる備忘録です。昭和の終わりから平成の始めにかけての記憶を辿り書き記したものです。旧サイトからの転載です。

Windows PCB-CAD の先駆者として知られるプロテルも、1991年に最初の Windows 製品である Advanced PCB 1.0 .がリリースされる前は、DOS製品を開発し販売していました。 1986年に最初の DOS 製品がリリースされた後 1989年にDOS 世代最後の製品である AutoTrax に至るまでの間プロテルにはいくつかのバージョンが存在しますが、 AutoTrax 以前には日本に代理店はありませんでした。 そこでロテルはこの AutoTrax のリリースに合わせて日本に代理店を設定し、日本市場への参入に際してIBM-PC 版だけでななく PC-98版も用意しました。

Windows 版の Advanced PCB がリリースされた後も、Autotrax は DOS Pack の名称で販売が継続されました。DOS Packは、AutoTrax と DOS Schematic がセットにされたもので、価格は 98,000円と大変安価でした。また、リリース直後のAutotrax にはドングルと呼ばれるセキュリティデバイスによるコピープロテクトがおこなわれていましたが、1993年に販売が開始された DOS Pack以降 このドングルは取り払われました。

また、AutoTrax の前に PCB 3という PCB パッケージがあり、これが Accel 社に OEM 供給され Tango Series I として販売されていました。その後Accel 社は自社開発によるTango Series I I に移行します。この Tango Series I I と Autotrax との間には一見大きな違いは無いように見えました。しかしTango Series I Iには Autotrax には無いマニュアルポリゴンの配置機能がありましたので、アナログ基板設計では、使えるか使えないかの判断の分かれ目になり得るくらいの大きな差があったかも知れません。

余談ですが現在、このAutotrax と その直前のバージョンである Easytrax(おそらく"PCB3"="Tango Series I" ="Easytrax")はフリーウェアとしてアルティウム社から無償で提供されており、以下のページからダウンロードできます。
http://wiki.altium.com/display/ADOH/Freeware+downloads

また、Autotrax はその後、当時の Microcode社にライセンスされます。そしてMicrocode社によってWindows に移植され、TraxMaker という商品名で販売されます。このTraxMaker は機能および PCB ファイルとも Autotrax 寸分違わず、まさに Windows 版 Autotrax そのものでした。

当時のDOS製品は、データ幅およびアドレッシングの両方で 16ビットの制限を受けていました。Autotrax はレイアウトデータおよびプログラムとも 16ビットでしたが、EMS がフルサポートされていたので大規模な基板の設計もできました。一方、ほぼ同時期に日本に上陸した PADS は レイアウト後のフットプリントデータを EMS エリヤに置けず、大規模を設計することができませんでした。その後 PADS はこの制限から逃れるため、 PharLap の 386DOS-Extender を利用した 32 ビット版である PADS 2000に移行します。一方プロテルにも Phenix というコードネームの次世代 DOS プロジェクトがあったようでしたが、結局DOS版はこれで打ち止めにになり、これ以後 Windows にフォーカスされることになりました。そして1991年にリリースされたのが世界で最初の Windows PCB ツールとして有名な Advanced PCB です。 

このWindows 版への移行の後も Autotrax とは双方向の互換性が保たれており、Advanced PCB 2.8まではAutotrax ファイルの読み込みはもちろんのこと、保存もできたように記憶しています。

後にプロテルの国内販売元になったテクスパートは、当時 PADS を使って基板設計を始めたばかりであり、プロテルと運命を共にすることになろうとは夢にも思っていませんでした。

OrCAD の記憶

2013/09/16: 旧サイトから転載。これは昭和の終わりから平成の始めにかけての記憶を辿り書き記したものです。

古くから回路図エディタをお使い方ならご存知だと思いますが、安価なDOS ベースの電子系 CAD 市場で最初に普及したのは OrCAD でした。そしてそのあと Tango、Protel が現れて OrCAD を追い、まさに三つ巴の状態で顧客の獲得合戦が始まりました。

まあ、当たり障りのない書き出しとしてはこんなところです。しかし現実は OrCAD のひとり勝ち状態であったことはあきらかな状況でした。また、初期のTango 製品は Protel から OEM 供給を受けたものであり、Tango と Protel の機能は同じでした。Tango はその後自社開発に移行しラインナップを強化しましたが OrCAD の牙城を崩すことはできず、Windows 時代が訪れるまでは OrCAD の寡占状態が続きました。しかし一方、PCB レイアウトの分野に限って言えば、Tango も Protel もそれなりに検討したといえます。

このように OrCAD は DOS ベースの設計ツールとして、業界標準の地位を築きましたが、最初からトップブランドであった訳ではありません、また何もかもが Windows 化してしまった現在、その地位が保たれているとは言い切れなくなってきています。

薄れかけている記憶を辿り、このあたりの経過を紹介してみたいと思います。仕事には役立たない与太噺ですので、お忙しい場合には長居は禁物です。また、内容は独断の偏見に満ち溢れていますので、決して鵜呑みにはなさらないでください。

最初は追う立場のOrCAD
DOS 版回路図エディタの分野は OrCAD が一番乗りだと思っている人は多いと思います。しかしこの分野への参入は OrCAD よりも Data I/O 社の方が早く、OrCAD は Data I/O 社の回路図エディタ DASH の後を追う形でこの市場に参入しました。
Future Net というネットリストフォーマットをご存知の方は多いと思いますが、この Future Net は DASH から出力される標準のネットリスト・フォーマットです。Data I/O 社は早期に DOS 回路図エディタをリリースし、この Future Net フォーマットのネットリストで、PCB 設計プロセスにデータをわたすというスタイルを確立しました。その後 OrCAD SDT が出現しこの DASH をリプレースしましたが、その後も Future Net フォーマットは長く使われ続けられました。
もう25年くらい前になりますが、OrCAD が DASH の追撃をもくろんだ広告がトランジスタ技術誌に掲載されたことを覚えています。この広告には、DASH と OrCAD SDT の機能と価格を比べた比較表が示されていました。明らかに機能の豊富さでも OrCAD が上回っており、特に出力できるネットリストフォーマットや、標準ライブラリの数ではDASH を圧倒しいることを誇示するものでした。そして価格は数分のIでしたので、商品の競争力には10倍くらいの開きがあるように見えました。少なくともこれからは OrCAD のj時代であることを印象付けるには十分なものでした。

売れて当たり前の OrCAD の機能
OrCAD SDT はその価格の安さもさることながら、売れて当たり前の優れた機能を備えていました。一口に言って実用性の高さでは他に競争相手が存在しない状態でした。
OrCAD は階層回路図のサポート、20種類以上のフォーマットをサポートするネットリスト出力、豊富な標準シンボルライブラリ、使いやすいメニューコマンドなどの多くの特長を備えていました。そして当時の非力なコンピュータでも、サクサク快適に動きました。なにしろアセンブラで開発されていたそうですから当たり前といえば、当たり前でしょう。そして動作が速い上に、メニューコマンドも気が利いていました。直前に使ったコマンドがメニューの最上部に現れ、繰り返し作業の多い回路図の作成には大変便利でした。
階層回路図のサポートの重要性もさることながら、多種のネットリストのサポートは回路図エディタの汎用性を高める上で重要な意味を持ちます。なにしろ清書するだけでなく、ネットリストを次の工程に渡すことが回路図エディタの役目ですから、相手のフォーマットに合わせることができればその汎用性は大幅に高まります。設計工程の最初に使用する回路図エディタでは汎用性が非常に重要であり、この汎用性の高さが OrCAD SDT が広く支持された大きな理由のひとつであるといえます。

売れて当たり前の OrCAD のマーケティング
まず、米国で 495 ドル、国内で 148,000円とう価格の安さは衝撃的でした。以後この価格は後発メーカの価格設定に大きな影響を与え、迷惑したところも多いのではないかと思います。そしてこのコスト/パフォーマンスの高さに加え、的確なマーケティングによって市場へのアプローチが行われました。
国内では、早期にNEC PC-98プラットフォームへの移植が行われたことと、巧みな広告宣伝が OrCADの普及を加速しました。PCB エディタはともかく、回路図エディタは手持ちのPCで使えないと不便ですので、PC-98 への移植は必須条件でした。しかし、日本語化は行われませんでした。おそらく日本語化のメリットとデメリットおよび他社商品との競争力などを考え合わせると日本語化は不要な状況であったと思います。
そして特筆すべきは、OrCAD 広告の露出度の高さです。トランジスタ技術誌へはカラーの見開き2ページの広告が行われ、毎月表紙をめくったらすぐに目に飛び込んできました。また、パソコンショップのCAD 売り場やネットワーク機器売り場には、必ず OrCAD のカタログが置いていありました。当時私は浜松に住んでおりましたが、メルバという近所のパソコンショップに立ち寄ったところ、なんとこんなローカルな店にも OrCAD のカタログが置いてありました。とにかく雑誌や専門店での大量の広告により OrCAD の露出度を上げ、ことあるごとにOrCAD をエンジニアの目に触れさせるという手法が徹底されていたように思います。これにより OrCAD がメジャーな製品であると印象付けることに成功したと言えます。一方、トレードショーへの出展は、一時期を除いては行われませんでした。これはFace-to-Face による販売を重視していない OrCAD の場合には不要なものだったからでしょう。

このように、売れて当たり前の商品が、売れて当たり前のマーケティングによって売れまくりました。

OrCAD SDT は非常に実用的なツールでしたが、多少変なところもありました。
 最初、アレッと思ったのが部品を移動させるコマンドが見つからなかったことです。Block操作のメニューに移動のコマンドがあり、一個の部品を動かす場合にもBlock 化して動かしました。多分これが正しい使い方だと思いますが定かではありません。また、シンボルライブラリのグラフィカルエディタが大変使いにく、大抵の人はテキストエディタをつかって部品シンボルを作っていたように思います。

そしてソフトウェアのプロテクトも不十分なものでした。米国で売られていたこのは全くプロテクトが行われておらず、国内ではSDT?以降ドングルでプロテクトされましたが、これを解除した違法なコピーも出回っていました。不謹慎な考え方ではありますが、このプロテクトのあまさが OrCAD の普及をいくらか後押ししたかも知れません。

DOS 末期のOrCAD 国内売り上げは、4 億円程度と聞いた記憶があります。多分この金額に大きな誤りは無いと思いますが、いくら OrCAD でも148,000円の回路図エディタだけではこんなには売れません。おそらく日本の市場規模では、回路図エディタは一ヶ月あたり 100-150本くらいしか売れないはずですので、のこりは 598,000 円で販売されていた OrCAD PCB の売り上げなのではないかと思います。OrCAD SDT と PCB が 4:1 もしくは 3:1 くらいで売れ、少なくとも PCB の売り上げで半分位はかせいでいたのではないでしょうか。

そこで、この OrCAD PCB がどんなに高性能なものだったかということになりますが、はっきりいってこれはとても仕事に使用できるレベルものではありませんでした。浜松で会社を創業したころの話です。当時使用していた OrCAD SDT のイメージに惑わされ、ろくに評価もせず米国版 1495 ドルの OrCAD PCB を購入しました。そしてしばらくのあいだ悪戦苦闘しましたが、結局実用に供することなく手放しました。

当時から、ツールを見る目には自信を持っていましたのでこれはかなりショックな出来事でした。もっともこれは、私の能力不足による誤った評価かも知れません。とにかく、OrCAD のブランドイメージにはいっぱい食わされてしまったというのがその時の正直な印象です。

私はその後この反省から、ツールの評価に多くの時間を割くようになり、今では専門家を自認するようになってしまいました。 

たぶん私と同じように、ブランドイメージに惑わされて OrCAD PCB を購入した人は多いのではないでしょうか?...というより、むしろこれが OrCAD PCB の普通の売れ方だったように思います。しかし、598,000円という価格は非常にいい値付けだったと思います。この価格は100万円の約半分、回路図エディタとハードウェアを加えても 100万円近辺で収まるという、手軽にPCB設計をしたい人にはとっても買いやすい価格設定でした。とにかく、ブランドイメージで商品が売れるというのは素晴らしいことです。

OrCAD 社もこの PCB ツールの品質に問題があることを認めていたようで、他社からOEM 供給を受けるべく、目ぼしいメーカに打診していたような形跡があります。Protel ではこの打診を断ったようです。結局この OEM 作戦は成功せず、後の Massteck 社の買収まで、高性能なPCB ツールは現れませんでした。Massteck 買収時にはすでに Windows 時代に突入しており、それまで販売されていた、OrCAD のPCB ツールは即座に Masstek の 製品(MaxEDA)に置き換えられ OrCAD Layout として販売されました。

回路図エディタのWindows 化は、社内開発によって行われたようですが、かなりリリースが遅れました。最初の OrCAD Capture R6 のリリースは、ちょうど Protel の Schematic 3(EDA/Client)とほぼ同時期で、Protelより 3年 くらい遅れたように記憶しています。開発に時間がかかった理由は、OrCAD SDT のコードがアセンブラで書かかれていたので Windows に移植することができなかったという説が有力です。いずれにせよこの遅れは Protel にとってシェアの獲得には大変幸運でした。

このころから Protel は統合化に路線を変え、一直線に突き進みはじめました。このことは OrCAD が Protel に奪われた回路図エディタのシェアを回復するのには都合がよかったかも知れません。

Windows 一辺倒の時代になってからはツールの統合指向がさらに強まり、OrCAD はこの分野で先行した Protel との競争にさらされています。どちらがその勝者であるかは申し上げることはできません。しかし少なくとも現在は、OrCAD 一人勝ちの状態でないことは確かなようです。

PSpice の記憶

2013/09/16: 旧サイトから転載

1995年にテクスパートでは、MicroSim(現在ではOrCAD)PSpice の販売を開始しました。

当時テクスパートでは、日本にまだ紹介されていないツールやあまり知られていないツールを輸入して国内に紹介するのが仕事でした。しかしPSpice は当時、シミュレータのトップブランドとして知名度は抜群でした。しかも日本支社(通称マイクロシム・ジャパン)も存在し、それまでのテクスパートの取扱い商品とは大きく異なるものでした。

なぜこのような毛色の違う商品を扱うようになったかといえば、それは Protel からしミュレータが出てくるのを待てなかったからです。当時まだOrCAD Capture がリリースされておらず、OrCAD SDT(DOS) のリプレースとして Protel の回路図エディタ Advanced Schematic が大量に販売されていました。そしてこの多くのユーザの方々から切望されていたのがアナログシミュレータであり、出せば必ず売れるという状況でした。

そこで、当てにできない Protel シミュレータの代役として目をつけたのがこの PSpice でした。また、Protel のシミュレータがリリースされた場合でも、PSpice なら一味違う専門ツールとして Protel と併売できるのではないかという予測もありました。

PSpice の販売開始にあたっては、他の取り扱い商品のような手間のかかる仕事はほとんど存在しませんでした。まず、商品を輸入する必要がありません。またマニュアルの作成や大規模な広告も不要です。日本支社(通称マイクロシム・ジャパン)が全てやってくれるからです。そしてなによりも PSpice はすでに日本でのブランディングが完了した商品であり、極論すれば、種蒔きが終わり成長した作物をただ刈り取ればよいという状態でした。

この時テクスパートに不足していたのは、シミュレータ販売に関する実績とノウハウでした。そこでこれを補うための手っ取り早い方法として最初に実行したのは、マイクロシム・ジャパン内にサポートブランチを設置することでした。

代理店契約を終えた後、すぐにマイクロシム・ジャパン内にブランチを設置し、1年の間、社員一人を常駐させました。そしてここで、マイクロシム・ジャパンの専門スタッフの指導を受けながら、セールスと販売後のサポートに必要なテクニカルな業務を行いました。実質的には、マイクロシム・ジャパン内に営業拠点を置いているようなものであり、失敗するはずのない方法でした。そして、思惑どおりこの方法が功を奏して、短期間にPSpice のビジネスを立ち上げることができました。

セールス/サポートドキュメントを作成するための情報も豊富でした。書籍、マイクロシム社の販促/技術ドキュメントなどが豊富にあり、これらのリソースを利用することもできました。これらのを利用してチュートリアルブックを作成しましたがこの時ひとつ大きな過ちを犯しました。それは競合する PSpice 代理店様のドキュメントから、無断で内容を引用をしたことです。この代理店様からのご指摘を受けすぐにこのドキュメントを回収し破棄いたしましたが、競合代理店様をはじめ多くの方がたにご迷惑をおかけしたことを、今あらためてお詫びいたします。

このころ、短期間に多くの方々に PSpice をご購入いただきましたが、Protelとは関係なく、単独で PSpiceをお使いになられるユーザの方に方が多かったように記憶しています。いずれにせよしばらくの間、PSpiceの売り上げは順調に伸びて行きました。

Protelと PSpiceとの併売において問題が露見し始めたのは、MicroSim 社が Massteckの技術を導入して、PCB ツールをリリースしたころです。たしか 1996年か 1997年の初めくらいだと思います。そしてあまり間をおかず、MicroSim 社はPCBを含めた全ての MicroSim 社のツールをひとつにまとめた、DesignLabという統合製品をリリースします。商品の性格はかなり異なりますが、Protelが目指している統合化の方向とは酷似したものでした。

確かこの DesignLabの価格は 200万円を超えていたように思います。当時の日本のマーケットには受け入れられるはずのない製品でしたが、統合の Protel を打ち出そうとしている矢先に MicroSimに先を越されて統合のお株を奪われてしまっては困ります。たしかラスベガスの DACショーだったと思いますが、この DesignLab が発表されたときには本当にあわてました。とにかく統合ツール = Protelのイメージがこれによって削がれてしましと困りますので、急きょ帰りの飛行機の中で、Protel 全商品を組み合わせたパック商品 Smart Comboを企画しました。そして次の日、日曜日でしたが休日出勤してチラシを作り、その翌日の月曜日にProtel の統合ツールとして打ち出しました。

そして 1997年の終わりころ、MicroSim 社は OrCAD社に買収されました。 これにより重荷になり始めていたMicroSim /PSpiceとの関係が消滅しました。この時すでに Protelの シミュレータがあり、テクスパートでの PSpice役目はすでに終わっていましたので、これ以上PSpiceに固執する理由もありませんでした。

Tango の記憶

2013/09/16: 旧サイトから転載

ACCEL Technologies社の Tango CADツールは、1985年ころに Protelから OEM供給を受けることにより販売が開始されました。このころ、米国のエンジニアの机の上にこの Tango PCB のパッケージが置かれているのを良く見かけました。安い価格設定(おそらく995ドル)により、すぐに売れ始めたのではないかと思います。

米国で販売が開始されてから、数年の間は日本に販売代理店がなく、個人輸入の形で日本に入ってきています。京都の(有)明光電子もこのようなユーザの一社で早くから Tangoを使い始めており、日本に代理店ができるころにはすでに多くのフットプリントライブラリが蓄積されていました。この間、ACCEL Technologies社は日本Tango 製品を販売すろためのパートナーを探していました。当時のテクスパートにも代理店をやらないかというアプローチがありましたが、結局、1991年ごろソーテック(工人舎事業部)が総代理店にきまりました。ソーテックは OrCADの国内販売チャンネルが現地法人化(インテリジェントシステムズ・ジャパン)されたことにより、OrCADとの代理店契約が終了しその代替として、急きょこのTango に移行しました。この時のソーテックにとってまさに Tangoは渡りに船の存在だったのではないかと思います。

この時すでに Tangoツールは Protelの OEM ではなく、Series 2 という ACCEL Technologies自社開発の製品に移行していました。Tangoツールの日本への本格上陸はこのバージョンの回路図エディタとPCBツールから始まりました。

この時のソーテック戦略は、PC 98への移植とプログラムの日本語化により、OrCADの日本語版として OrCADユーザからの乗換えを狙うというものでした。当時ソーテックは5年以上も続いたOrCADの代理店契約が終了した直後でしたので、アクティブな OrCADユーザのリストをたっぷり保有していました。このためこの戦略は非常に的を得たものでした。私が前に在籍していた楽器会社でも、ソーテックからダイレクトメールを受け取り、即座に購入したようです。しかし、多くの OrCAD SDTユーザは Tango SCHを購入した後も OrCAD SDTを使い続けたようです。おそらくOrCADの日本語版とはいうものの、OrCADの代用には機能不足だったのではないかと思います。しかし、OrCADの機能にこだわらないユーザや PCBのウェイトが高いユーザにとって、Tango は実用的な製品であり最適な選択肢であったと思います。

この PCBの販売促進のためソーテックは、前記の Tango個人輸入ユーザ(有)明光電子から、PCB ライブラリの供給を受け、Tangoオプションライブラリとして販売しました。これより数年後のことになりますが、テクスパートでもこの(有)明光電子から、これを拡張した Protelバージョンのライブラリを購入し、Advanced PCB用としてTechLib-PCB enhancedの名称で販売しました。当時の価格は、Tango SCH が150,000円くらいで PCB が 598,000円だったと記憶しています。当時 OrCAD PCB は実用レベルには達しているとはいい難い製品でしたので、Tango PCBはソーテックにとって非常に販売しやすい製品だったと思います。

このように、当時の Tangoは 国内のPC ベースの CAD市場では優位なポジションにあり、この状況は Protel が Windowsで攻勢をかけてくるまで変わりませんでした。

一方、このころ開発元 ACCEL Technologiesと Protelとの関係は最悪の状態だったようです。Tangoの新バージョンは自社開発ということになっていましたが、Protelサイドとしては、OEM供給された製品がリバースエンジニアリングされ、取引が一方的に中止されたということで怒り心頭のようでした。事実 Protel Autotraxと Tango PCB Series 2 の間には、ベタ塗り機能以外に大きな違いがなく、どちらかが真似をしたとしか見えないものでした。そしてこの時からの怨念によるものかどうかはわかりませんが、この約10年後に ACCEL Tecnologies は Protel に買収されます。

そうこうしている間に Windows時代が到来し、Protelとの競争が始まります。1992年ころ米国のトレードショーに出向いた時、Tango の Windows PCBツールが展示されており、リリース間近のようすが伺えました。この時デモに用いられていた PCBのサンプルファイルは、Protel のWindows版のデモに用いられていた円形基板とそっくりのものでした。一瞬、また Protel からの OEMが開始されたのかと思いましたがそうではありませんでした。この時すでに、Protel for Windowsがリリースされていましたので、単なる後追いのようにしか見えませんでした。しかし当時 Protelは米国での実績がほとんどありませんでしたので、Protel for Windowsの出鼻をくじくにはこれで十分だったのかも知れません。

日本では、1993年(1994年だったかも知れません)に Tango Windows PCBツールがリリースされたように記憶しています。この時すでに Protel for Windowsは 第二世代の製品に切り替わるころであり、製品の改良がかなりすすんでいました。また積極的な宣伝広告によって知名度も上がっていました。このため、TangoのWindows PCB はリリース早々 Protel for Windowsとの過酷な競争にさらされることになりました。

Tango Windows PCB ツールはリリースの時点で、Protelに対してつぎのようなハンディを背負っていました。
  • Windows PCB ツールとしてはProtel の後発である
    少なくとも1年以上のタイムラグがあったように記憶しています。
  • 価格が高い
    Protel Advanced PCB の 398,000円に対して、Tango のWindows PCB は 850,000円くらいの価格であったように記憶しています。
  • 回路図エディタが無い
    当初 PCBと セットで使用できる Windows版回路図エディタがなくこれがリリースされるまでに1年程度かかりました。
この中で一番大きな問題はその価格設定でした。ほとんど同じようにしか見えないProtel Advanced PCBとの価格差が 2 倍以上もありました。また、この80万円を超える価格設定は、ソーテック自らが OrCAD PCBと Tango PCBで築いた 598,000円の価格帯の市場を放棄し、Protelに譲りわたすという結果を引き起こすものでした。

これに対してソーテックでは、日本語化によって競争力を強化しました。また 併売していた DOS 版の PCBツールの価格を 598,000円から 398,000円に引き下げました。そしてしばらくして、Windows 版回路図エディタがリリースされましたが、Protel との競争は依然として困難なものであったと思います。そしてその後、このTango のWindows版は名前が P-CAD に変更されましたが、これも日本では裏目に出たと思います。日本では P-CAD よりも格段に Tango の方が既存ユーザも多く有名でしたので、この名称変更がすぐに売り上げに結びつくことはなかったように思います。

1999年の後半だったと思いますが、Incases社から供給を受けた伝送線路シミュレータが、P-CAD のオプションとして1,500,000円くらいの価格で販売されたことがありました。しかしこの直後 Protelは同じものを当時の Protel 99に組み込み無償提供を始めました。これにより P-CADでは百万円を超えるのものが Protelでは無料という、にわかには信じがたい不可解な状況が発生しました。また、このころにソーテックがキョーデンに買収され、国内の代理店業務がアクセルジャパン(通称)移管されたと記憶しています。

そして後の 2000年 1月に、ACCEL Technologies社は Protel(現在のAltium)に買収されます。その後も数年間 Tango のWindows 版は P-CADの名称で販売が続けられましたが、現在では Altium に一本化されています。

P-CAD の記憶

2013/09/16: 旧サイトから転載

P-CAD は、DOS ベースでは世界初の本格派 PCB-CADシステムとして、米国の Personal CAD Systems 社で開発されました。販売が開始されて間もなく PCBプロフェッショナル向けのDOS版 CAD ツールとして、業界標準としての地位を獲得します。しかしその後、後発メーカとの競争や幾度もの企幾買収の洗礼を受け、比較的早い段階で姿を消しました。

CAD Personal CAD Systems社は創業後 10年くらいで IBM 社に買収されます。IBM 社はこれを CADAM製品として販売していましたが、その後 P-CAD部門を CADAMから分離し、Altium という IBM 傘下の電子系 CAD専門子会社にビジネスを移管します。このとき Altium(今の Altiumではありません IBMの Altiumです)には PowerPC(CPU)用ツールを開発していたCAD 部門も合流したようです。そしてその数年後、この P-CAD部門は ACCEL Technologiesに買収され、 P-CADビジネスと Altiumブランドは ACCEL Technologiesに移管されます。そしてさらにその数年後の 2000年1月、ACCEL Technologies は Protelに買収され P-CADビジネスと Altiumブランドは Protel に移管されます。ちなみに現在の Altiumではこのとき ACCELから取得した Altiumそのまま社名とブランドに使用しています。

この変遷の中で、P-CAD 製品が最も大きな影響を受けたのは、ACCEL Technologies が P-CADを取得した時です。こともあろうに ACCEL Technologies は、当時 Tango 名前で販売していた自社の Windows PCBツールの名前を P-CAD に変更ました。これにより名前は P-CADで中身は Tango という新しい製品が誕生しました。そしてこの瞬間に、従来のP-CAD PCB ツールと Tangoブランドは CAD 市場から消滅しました。

ACCEL社としては単に、ブランドイメージの高い P-CADの名前を付けたほうが良く売れるという判断をしたのだと思いますが、その結果が思惑通りなったかどうかは定かではありません。少なくとも日本国内では、P-CADよりも Tangoの方が有名でしたので、おそらく期待通りの結果にはならなかったように思います。

このような事情により、内容が全く異なる2種類のP-CADがありますので、混同しないように整理しておきます。

旧型の P-CAD
  • ACCEL 社に買収される前
  • Personal CAD Systems 社のオリジナル製品
  • DOS 製品(Master Designer という名称が付けられていた )
  • 国内では兼松エレクトロニクスが国内代理店として販売
(新型の P-CAD
  • ACCEL 社に買収された後
  • Tango 製品の名称変更
  • Windoes 製品
  • 国内ではACCEL Japan が販売
この新旧の 2 は、双方共まぎれもなく本物のP-CADです。そして新型の P-CADこそが現存する唯一のP-CAD です。しかしここでは由緒正しい旧型の P-CAD 記憶を辿り、昔話を続けることにします。

私が初めて P-CAD に出会ったのは、30年くらい前のことです。当時、浜松の楽器メーカで海外ベンチャー企業で開発された電子楽器の OEM受託生産の仕事をしていました。この時、OEM委託元の米国企業で開発に使用していたのが P-CADです。この委託元企業に出張して、P-CAD の画面を見ながら設計変更の打ち合わせを行うこともたびたびありました。このことで CAD の必要性を実感し、その後まもなく P-CAD の導入検討を始めました。当時日本では、SPIという会社が、P-CAD の販売をしていましたので、P-CADのデータを持参しデモをしてもらいました。この時、ベタ塗り部分の修正手順を見せてもらいましたが、意外に手間取るような印象を受けました。たしか吉村さんという方に対応していただいたように記憶しています。古い昔のことですが、CADは初体験の状態でしたのでわりと鮮明に記憶は残っています。

見積りを取ったところ、ハードウェアを含めたシステム一式で 200-300万円くらいだったと記憶しています。コンピュータはアルプス電気製の互換機をすすめられました。当時日本では、トムキャットコンピュータ (ケイプロ)や日本 IBM の漢字フォント内蔵(5550?)のものなどがありましたが、プラットフォームの選択肢は非常に少ない状況でした。また、当時のグラフィックスの標準は EGAであり、VGAが何十万円もしていたように記憶しています。この導入検討の際に、いろいろとPCB-CADの勉強をさせてもらいましたが、結局は予算申請が通らず購入できませんでした。このようにP-CADとのかかわりは、ユーザとして導入検討をすることから始まりました。

CAD を販売する側としての P-CAD とのかかわりは、テクスパート設立の1年後くらいからだったと記憶しています。当時私たちは、自社で基板設計業務に使用していた PADS PCB の販売に加え、P-CAD の周辺ツールの販売を計画していました。この実現に向けて、国内代理店の兼松エレクトロニクス、およびその代理店の?ファーストとライズコーポレーションの3社とコンタクトをはじめたことにより、再び P-CAD とのかかわりが始まりました。

P-CAD 関係者とコンタクトを始めてすぐに、販売戦略上の問題に気付きました。当時のP-CAD の販売戦略は競争相手である PADSに対していくつかのハンディあったように思います。国内では AT 互換機ではなく NEC の PC98 シリーズ上で動作するバージョンのP-CAD が主力で販売されており、 AT 互換機と比べるとパワーが劣り、P-CAD プログラムのパフォーマンスを十分に引き出すことができない状態でした。特に表示速度の遅さは目を覆いたくなるほどのものでした。さらに PC98 では、AT 互換機用として開発されたサードパーティーのP-CAD 周辺ツールが、全く使用できないことも大きな問題でした。

そして私たちはこの問題の解決にビジネスチャンスを見出し、P-CAD代理店に対して商品の提供を開始しました。主なアイテムは、i486 CPU搭載のAT互換機と ELSAのグラフィック・アクセラレータです。AT互換機は米国で組み立てテクスパートのブランドで販売しました。

この、ELSA のアクセラレータの効果はすざましく、表示が15倍くらい高速になりました。またSpeed Draw というユーティリティにより、詳細な表示条件の設定が可能になりました。これとコンピュータ本体による速度の改善とあわせると、PC98 ベースのものに対して 40倍程度高速化されたことになります。あまりにも良くできているので尋ねたところ、ELSAではボードの開発に P-CADを使用しており、社内用としてこのアクセラレータを開発したとのことでした。とにかくこのELSA のアクセラレータにより、最も遅いCADという評価を受けていた P-CADが最も早い CAD に生まれ変わりました。尤も海外から見れば、もともと高速な CADツールが日本ではに低速に仕立て直されていたと言えるのかもしれません。

一方米国本国ではどうかというと、これもあまり芳しいようすではありませんでした。現実を見てみると、IBM による買収のあと創業者の Richard Nedbalは退職し、Advanced CAM Technologies 社(ACT)を設立しています。この ACTで最初に開発された E-CAMの中身を覗いてみると P-CADとの共通点がいくつか見受けられます。グラフィックドライバーは P-CADと同じものが使用されており、このようなところからも P-CADの開発スタッフが流出しているようすが伺えます。

このためかどうかは分りませんが IBM による買収以降、開発が停滞ぎみであったのは事実です。中でも致命的なのは、データベースサイズの 32ビット化が大幅に遅れたことだと思います。これは、ピン間 3本の配線には必須の条件ですが、この実現がPADSより大幅に遅れました。ちょうどPADS のWindowsへの移行が完了したころに、ようやくP-CAD が DOS 製品のまま32ビットになったように記憶しています。

このころ、ことあるごとに海外の関係者に P-CADをどう思うか聞いてみましたが、P-CAD はよい製品だが古い(It's a good product, But old )という、なんとなく気の無い答えが返ってこることが多かったように記憶しています。業界全体として P-CADへの期待や関心が薄れてきており、すでに 過去の製品であるととらえられているような印象でした。このように全般的には、大きな期待ができる状況ではありませんでしたが、私たちが提供した AT互換の P-CAD プラットフォームは、主に既存のP-CAD ユーザ様方にご好評をいただくことができました。

その後しばらくして、P-CAD が ACCEL社に買収され、DOS 版の P-CADビジネスは消滅します。短い期間でしたが、このP-CAD のプラットフォーム・ビジネスを通じて、その後の CADビジネスに必要な、貴重な知識や人脈を得ることができました。

Massteck の記憶

013/09/16: 旧サイトから転載

Massteckと言ってもご存知ない方が多いと思いますのでまず Masstekの概要を紹介します。Massteckは 1988年くらいから自動配線ツールを開発/販売していた会社で、初期のツールとして PADS にOEM 供給されていた PADS Push' N Shove や MaxRoute があります。自社ブランドの商品として、MaxRoute(自動/半自動押し退けルータ)、MaxPlace(クラスタ・プレースメント)、MaxEDA(PCB-CAD)などがありましたが、実際の収益は、OEM や ソースコードの販売に頼っていたように思います。この OEM/ソースコードの販売先として、当時の PADS、MicroSim、CADIXなどがあります。

所在地は米国マサチューセッツ州 ボストン近郊のリトルトンという町です。オフィスは小さな森の中にあり、当時の PADS 本社とは、100 メートルくらいしか離れていませんでした。

経営トップは、Dancouse(創業初期)、Al Ackerman (末期)が務めていましたが、実質的なキーマンは、ソフトウェアアーキテクトの DR. Wadlandでした。彼は Mssteck が OrCADに買収される少し前に、新たに開発した NeuroRoute で、HG. Marsh(PADS の創業者)とNeuro CAD 社を起こしています。そして OrCADによるMassteck の買収とほぼ同時期に、この Neuro CAD を Protel に売却しています。技術だけでなく、M&Aの時流に乗るセンスもあったようです。

DR. Wadland について、はホームページに近況や履歴書がアップされていますので、興味がある方はご覧ください。少し前までは CADENCEで働いていたように聞いています。
http://www.kenwadland.com/

Massteck は 私たちが初めて代理店契約を結んだ CAD ベンダーです。ここから私たちの CADツールの輸入業務が始まりました。そして同時期に Massteckから CSI(CAD Slution Inc.)を紹介され、CAMツール(ECAM)の輸入を始めます。そしてその後、芋づる的に人脈が広がって行き輸入品目を拡大することができました。

私が初めて MaxRouteを目にしたのは1990年の終わりくらいだったと記憶しています。当時米国で CAD販売を行っていた CAD Concept (日本語を話す Ken Auga 社長)からマクロキーボードを送ってもらった時、MaxRouteの自動デモが同封してありました。それを見てその能力に驚くと共に、Windows(2.1xのランタイム版が付属)環境で動作することにも先進性を感じてすぐに販売することに決め、社内の PCB設計業務にも使用しました。そして1991年以降、関東圏を中心に精力的にデモを行いました。このとき、CADIX でも同じデモを見たという話を良く聞きました。このころから、CADIX と Massteck との間でコンタクトが始まっていたようでしたが、後に CADIX に MaxEDAのソースコードが販売されます。そしてこれをベースに機能が拡張されたCADIX OHM-XIDが販売されました。

そのころ、CADIX からリリースされた回路図エディタも CADCAM Group の ECSと同じもののようでした。当時、UNIX ツールのWindows への移植が始まっていましたが、Windowsツールから UNIX への移植は珍しかったように思います。このような現象に疑問を感じつつも、自分たちの販売している Massteck製品の技術水準の高さに自信を持つことができました。

1995年にMassteck がOrCAD に買収されるまでの間、数多くのデモをこなしました。自慢げにデモをすると大抵は驚いてもらえましたが、相手を驚かせただけで終わってしまう事が多く、あまり多くの売り上げを得ることはできませんでした。また、このようなデモによる直販に加え、MM-2 用オートルータとして、いずみや ICさんにも販売していただきました。この MaxRouteの半自動配線機能の完成度は、1992年に発売された MaxRoute Plus Ver.4xが最も高く、デモをしていても大変面白かったように記憶しています。今の高性能な Windows環境で使えばどんなにすごいことになるか、一度試してみたいと思いますが、残念ながら手元に MaxRouteはありません。

MaxRoute の販売で想定外だったのは、Masstek と PADSとの間で PADS 用 MaxRouteの独占販売契約が結ばれたことでした。この契約により、PADS との併売を目的に MaxRoute の輸入を始めたのにもかかわらず PADS 用の MaxRoute の輸入ができなくなり、PADSの国内販売元であるキョウデンから仕入れなくてはならなくなってしまいました。

とにかく、売り上げよりもむしろ海外人脈の開拓と、商売の彩りに大きな貢献があった Massteckでした。

PADS の記憶

2013/09/16: 旧サイトから転載

PADSとのかかわりは CADユーザとして始まりましたが、社内での使用と並行して PADS PCBの販売に向けての準備を始めました。

まず手始めに、協力関係(とはいっても助けてもらっていただけでしたが...)のあった基板設計専門会社に、PADSを紹介してみました。ちょうど PADSを使い始めて 2-3ヶ月後くらいのことです。PADSビジネスのきっかけを探ると共に、本格的な基板設計会社が PADSにどのような評価を下すのかということに、大変興味がありました。

この時、半日程度のデモの結果、私たちが使っているものとほぼ同じ構成のもの買ってもらう事ができました。しかしその後、数日間のトレーニング等を行いましたが結局は業務には使用されませんでした。この時はじめて、既存のものと操作性の異なるツールを受け入れてもらうことの難しさを知りました。

私たちは PADSによる基板設計業務が軌道に乗り始めた後、社内使用と商品開拓を兼ねて当時米国で販売されていた、PADSのオプションを買い揃えました。ソフトウェアでは PADS Push and Shoveインタラクティブルータ、ハードウェアでは、#9 スクロールボードなどを購入しました。

PADS Push and Shoveインタラクティブルータは後に機能が拡張され、Massteck の MaxRouteとして販売されます。しかし当時のコンピュータでは PADS Push and Shoveは反応が遅すぎて使い物になりませんでした。一方 #9スクロールボードは使えました。当時は 1024 x 758のグラフィックボードでも 512KB のVideo RAM しか搭載していませんでした。しかし #9スクロールボード は 4MB の RAMを積んでおり、8倍の表示面積をスクロールして瞬時に見渡すことができました。再描画に時間のかかる PADS にとって、これは大変実用的なオプションでした。

その後、1990 年の中旬くらいから、国内でのPADS 販売への参入を試みました。このころすでに PADS の国内代理店は 4 社(ハイレル、尾崎産業、CRCテクニカル、CAD プロダクト)もあり、すでに過当競争の状態にありました。1989 年のJPCA ショーでは PADS代理店の出展は尾崎産業だけでしたが、1990年の JPCAショーでは、4 社の全てがブースでPADS を展示し、会場の CADエリアのどの位置からでも PADS の看板が目に入るような状態でした。

当時 PADSはまだ普及が始まったばかりでしたが、このPADSの盛況ぶりをみて、PADS が日本で一番メジャーな CADツールだと勘違いした人は多かったと思います。このように、4社の代理店間の競争によって PADSの露出度は高まり、PADSの知名度は急速に上がりました。

この競争原理に基づいた代理店戦略は大成功を収め、PADSは急激に浸透しました。たぶん一社の総代理店にまかせた場合には、こんなにうまくは行かなかったと思います。しかし一方、分散化によりまとまった営業投資が出来ないという弊害が生じ、雑誌広告もほとんど行われておらず日本語マニュアルもない状態でした。そこで私たちは、この PADSの代理店戦略の隙間を埋めることにより PADSのビジネスへの参入を行うことにしました。そして当時、切望されてていた PADSマニュアルの日本語化を行い、CAD Software 社に対して PADSの代理権を取得すべく申し入れました。しかし当時の営業責任者(Michael Marsh - HG.Marsh 社長の 三男)から、これ以上日本に PADSの代理店はいらないと言って断られました。

結局、この PADS日本語マニュアルは、開発元の CAD Softoware 社に買い取ってもらうことになり、このマニュアルの対価として、PADS ソフトウェの現物を数本受け取りました。そして、このパッケージを売りさばくことにより、私たちの CAD販売ビジネスが始まりました。私たちは当時、CAD 販売については全くの素人でしたが、社内で実務に使用していましたので商品知識は充分にあり、このビジネスへの参入に対して全く不安はありませんでした。

とにもかくにも、現金を支払うことなしに商品を手に入れることができ、リスクの無い幸運な船出をすることができました。

PADSセールス最後発の私たちは、他の代理店に対して明確な差別化を計る必要がありました。実際に社内で PADS使っているということがこの差別化に役立ちました。また、当時の CADツールはソフトウェア単体ではなく、ハードウェアを含めたシステム(欧米ではターンキーシステムと呼ばれていた)で販売されていました。このため、プラットフォームとして使用するコンピュータ等のハードウェアや、関連ソフトウェアツールによっても差別化が可能でした。

当時すで社内使用のため CAD関連商品の輸入を行っていましたが、他社との差別化のため、さらにこれらの輸入を推し進めました。PADS PCBの販売に注力した 1990年から 1992年くらいにかけて輸入した商品には次のようなものがありました。

ハードウェア
  • i486 CPU搭載の AT互換機(自社ブランド T486コンピュータ)
    当時国内には品質の良い物が少なかったので、高品質なマザーボードを中心に、レギュレーションのよい電源等を組み合わせたものを米国から輸入した。
  • グラフィックボード
    ATI 社製の MACH 32チップ搭載のボートや、VIDEO7 等のボードを輸入した。PADSではサポートされている高解像度グラフィックボードの種類が限られており、PADS に適合するこれらのボードは国内での入手が難しかった。
  • Telebit Trail Blazer高速モデム
    当時、Gerber データ転送用に用いられていた定番モデム。国内ではあまりにも高かったので輸入した。
  • Qualstar MT装置
    これは、DATではなくオープンリールの MT装置。当時はまだオープンリールの MT装置が一部で使用されていた。国内ではあまりにも高価だったので輸入した。
ソフトウェア
  • Massteck MaxRouteオートルータ
    PADS SuperRouerの配線品質とオフグリッド配線能力に問題があったため、その代替として輸入を始めた。
  • ECAM Gerberエディタ
    PADSには CAM編集機能がなかったためこの機能の不足を補うため輸入を始めた。
これらの周辺機器とのシステム化により 2-3年の間なんとか競争力を保ち、採算の取れるレベルで PADSビジネスを展開することができました。またこれらの周辺機器は単体での需要もあり、i486AT互換機を中心に同業者の方々にも多数購入していただきました。

1992年には、PADS販売の主力は 32ビット版の PADS2000に移行します。このころ、PADS Software社は、基板メーカであるキョーデンに買収され、国内のディストリビューションはパッズ・ジャパンに移管されます。これ以後、旧来からの PADS代理店との競争がほとんどなくなり、代わりにキョーデン/パッズ・ジャパンとの競争に晒されることになりました。約一年くらいの間この困難な環境に耐え忍び PADSの販売に注力しましたが、1993年以降は Protelに主力を移し、デザインエントリーマーケット向けの CAD ビジネスに移行しました。

とにかくこの間、売れそうなものは何でも輸入して売りました。また当時はノートブックコンピュータが普及しておらず、デスクトップコンピュータを車に積んでデモに出向きました。このため社用車の走行距離が1 年に 50,000kmを超えた年もありました。とにかく苦労はしましたが、基板設計で会社を立ち上げたあと、PADSで CADビジネスの基盤を築くことができました。いま振り返ると、当時は大変忙しくまた極めて充実した期間でもありました。

PADS の記憶 - ユーザー編

2013/09/16: 旧サイトから転載

私たちは 1989年に基板設計受託業務によってビジネスを開始しました。そしてこの時使用したのが 16 ビットの初代 DOS版の PADS PCBです。PADS を購入する以前に、OrCAD PCB を購入しましたがとても仕事に使えるレベルのものではなく、また Protel Autotrax も評価しましたがベタの作成機能が弱く選定から外れました。

PADSの機能評価は、日本で最初にPADSの販売を初めたハイレル社から評価版プログラムを入手して行いました。幸運にもハイレル社とは、以前に在籍していた楽器会社での取引以来付き合いがありました。そして営業担当の方のご好意で非常にいいタイミングで PADSを紹介いただくことができました。

この PADS の評価版プログラムには、基板設計プロセス全般を網羅したチュートリアルが付属していました。これは非常に分りやすく書かれており、それまで PCB CADを使ったことの無い私たちでも、CADの機能と設計方法が理解できました。そしてこのチュートリアルの中には、自信に満ちあふれたコメントがいくつか含まれていました。

その中に「PADSは他の安価の CADとは一線を画する高度な製品ですので、決して他の安価なCADとは混同されないようように忠告します」という意味のくだりがありました。たぶん Tango や Protel も似たような価格で販売されているが、PADSをこれらの安物といっしょにされては困るということを言いたかったのだと思います。トライアルの過程で、PADS の機能の素晴らしさもさることながらこのセールスコピーにも感動し、PADS の導入を即断しました。余談になりますが、この自信に満ち溢れたコピーは、以後の Protelのセールスに転用し、たびたび使用させていただきました。

PADS PCBは、米国の CAD販売店から購入しました。(ご紹介いただいたハイレルさんには大変申し訳ないことでした)当時米国では、PADS PCBの基本モジュールが 995ドルで売られていました。しかしこれには拡張メモリ(EMS)のサポートと Geber出力機能が含まれておらず、オプションを追加して仕事に使用できるレベルに拡張すると 2,000ドルくらいになりました。当時国内では、これに簡易オートルータを加えた 3,000ドルくらいの構成のものが 1,450,000円で売られていましたので、3倍以上の内外価格差がありました。
ちなみにこの時購入したのは、2,000ドルくらい基本的な構成のもの 3台と、4,500 ドルの SuperRrouer 1台でした。

導入後 PADS はすぐに立ち上がり、両面から 6層程度の基板を中心に受注しました。設計技術が未熟な初期の段階で規模の大きい基板の設計を受注してしまい大変苦労したこともありましたが、PADSの機能上の問題で困ることはあまりありませんでした。また PADSプログラムは非常に手堅く作られており、斬新な機能が無い代わりにバグが少なく、非常に安定に動作しました。このように PADSは期待通りに稼動し、当時の相場だった 1000万円 のCAD を使っている同業者との競争にも負けることはありませんでした。

基板設計の受注の際には PADSで設計困難な案件は避けるようにしていました。当時の PADSには、主に 16ビットの制約により次のような能力不足がありましたので、難しい基板の受注を避ける事が必要でした。
  • 分解能が 1 mil であり、ピン間 3本の基板の設計ができない。ただし、SuperRouter は 0.5 milの分解能がありピン間 3本の配線ができた。
  • 4000ピンを超える大型基板が設計できない。
    EMS をサポートしており、配線のセグメント数には制限は無いようでしたが、部品データは EMSによって拡張されたメモリエリアにマップできないようでした。このため QEMM386でマウスドライバーその他をアッパーメモリブロックに退避させ、コンベンショナルメモリを最大化して使用していました。
  • 円弧配線、円弧形状のベタエリアが作成できない。
    2D ラインと呼ばれる電気属性を持たないオブジェクトでは円弧がサポートされていましたので、これを使ってごまかすしか方法がありませんでした。
  • 描画速度が遅い。
    これは、当時の非力はハードウェアではやむを得ないことでした。
その後 PADS は 32ビット化された PADS2000に移行します。これによりいままでの 16ビットの PADSでの制限が一挙に取り払われました。テクスパートでもこの新バージョンに移行し受注の範囲を広げることが可能になりました。しかしこの頃すでにビジネスを CAD販売に移行していたため、基板設計業務を積極的に拡大することはありませんでした。そして私たち(テクスパート)が PADSを使用したのはこの PADS2000までです。その後 PADS2000は Windows 版に移行し、さらにその後 PowerPCB が出現しましたが、テクスパートにとってこれらはすでに、単なる Protelの競合商品でしかありませんでした。

このように、私たちは PADSによって起業しビジネスの基礎を築くことができました。このような優れたCADが安価に提供されたことに対して大変感謝しています。そしてこれにめぐり合えたことはほんとうに幸運でした。もしこれが無ければ、私たちが Protelを販売することもなかったでしょうし、今このような与太噺を残すこともなかったことでしょう。

アンビルコンサルティングのルーツ

2013/09/16: 旧サイトから転載

私たちが CAD の販売を始めてから、もう20数年になります。今では関西でアルティウム専門店を営んでおりますが、ここに至るまでには幾多の変遷がありました。プロテルの販売を開始してから数えても、もう 20年以上経過しています。の間いろいろなことにチャレンジしてきましたが、今ふり返るとプロテルを開始してからよりも、それ以前の数年間の方が多彩で、変化に富んでいたように思います。

まず写真をご覧下さい。

cad_all.gif

これは1990年代はじめの頃の写真です。そしてここに写っているのが、私どもがプロテルを始める前の主力商品です。これを見て、ピンと来る人はかなりのベテランです。おそらく大方の人にとっては、見たことも無いものばかりだと思います。

ここには、CAD システムを構成するハードウェアとソフトウェアが並んでいます。前列には5.25 インチのフロッピーディスクが見えます。このころの外部記憶媒体としては、まだ 5.25インチのフロッピーディスクが主流でした。フロッピーディスクはこの後、DOSから Windows への移行に合わせて、一気に 3.5 インチに切り替わったように記憶しています。プロテルの販売を始めたころには、すでにメディアは 3.5 インチに切り替わっており、Advanced Scematic や PCB では、最初から 3.5インチのメディアが使われたように記憶しています。

また、各製品のフロッピーディスクの前には 4角いコネクタのようなものが置かれています。これはドングルと呼ばれるプロテクトデバイスであり、これをパラレルポートに差し込まないと、プログラムが起動しませんでした。

ここに写っている商品は、後列左から:
  • Qualstar の MT 装置。 http://www.qualstar.com/
    これは、Gerber データを MT でやり取りするときに必要でした。1250 BPI と 6500 BPI の 2種類がありました。
  • テクスパート製 T486 パーソナルコンピュータ。
    当時英語版 DOS ソフトウェアのプラットフォームとして安心して使用できる PC が入手しにくい状況でした。このため使用パーツを厳選して組み立てたオリジナル PC をCAD 用として提供していました。この PC ケースには当時はまだ無名であった Antec 社の製品を選びました。
  • CRTモニター
    写真に写っているのは三洋電機製のものですが、機種の選定はお客さまにお任せしておりました。 
続いて前列左から:
  • Qualster MT 装置のドライバー/ユーティリティ(MT 装置の添付物) 
  • PADS PCB (16 ビット ソフトウェア。当時のメーカは Personal CAD Systems ) 
  • MaxRouteオートルータ (当時のメーカは  Masstek ) 
  • PC Gerber / ECAM (当時のメーカは  CSI ) 
これらのソフトウェアは今でこそメジャーな存在になっているものもありますが、当時は無名でありこれらのソフトウェアを輸入販売しているところは他にありませんでした。ただし PADSは例外でありこの時すでの 4社の代理店があり混戦状態でした。

私たちは、これらの全ての CAD ソフトウェアに対して、英文マニュアルの全文が翻訳された日本語マニュアルを添付しました。当時の私どもは、日本語マニュアルの無い製品を販売するなどということは許されないことだと思い込んでいましたので、労をいとわずマニュアルの翻訳に注力しました。 

その一方で当時の日本では、外国製 CADソフトウェアが日本語マニュアルが皆無に近い状態で販売されていたので翻訳の依頼や、マニュアルだけを購入したいという引き合いが数多くありました。これを受け、PADS Software社からの依頼で、その後の PADS2000マニュアルの翻訳も行いました。 また ECAMの日本語マニュアルについては当時の大手 CADメーカ様にもご利用いただきました。

最前列に写っているのは、Omnikey Ultra と Logitechマウスです。当時のキーボードやマウスは、いかにも「コストダウンしました!」と言わんばかりのものが多く、このようなチープなものを避けると選択肢はそれほど多くありませんでした。Omnikey Ultra はAlps製メカニカルキースイッチを使っていたのでキータッチが良く、また DIP スイッチでキー配列が変更できるなど多機能でした。また机の上で安定させるために金属のおもりが入れられているなど、他に類を見ない贅沢な仕様の製品でした。

ざっと振り返ってみましたが、この頃の PC-CAD業界は、今よりももっと活気があったように思います。この後 Windowsの時代が到来し、PC-CAD が本格的に普及しますが、CADベンダーの数やツールのバリエーションはむしろ、MS-DOS 全盛のこの頃の方が豊富でした。 そして、私たちにとって、このような活気あふれた時期にCAD ビジネスに参入できたことは、大変幸運なことでした。

さらに興味のあるかたは こちら もあわせて五反ください。

Protel P-CAD OrCAD PADS などの懐古録

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